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京都2016夏一人旅【養源院/俵屋宗達の杉戸絵】 [旅行]

京都水族館の後はバスで養源院へ。養源院は三十三間堂の向かい側にある小さなお寺です。
三十三間堂を経由して清水寺や祇園方面へ行くバスのD1、D2乗り場はいつも混雑していますが、入れ替わり状態ですぐバスが来ます。
養源院最寄りの停留所では結構沢山の人が降りましたが、殆どの人が三十三間堂か京都国立博物館に入っていき、養源院へ向かったのは私だけでした。


三十三間堂を少し過ぎると養源院の入口「通用門」が見えてきます。
養源院.jpg
養源院2.jpg

養源院は文禄三年(1594年)に豊臣秀吉の側室「淀殿」が父:浅井長政と祖父:浅井久政の追善供養の為に建立したお寺ですが元和五年(1619年)に落雷による火災で一度消失しています。
現在の養源院は淀殿の妹に当たる崇源院(お江の方)により元和七年(1621年)に再建されたものですが、崇源院は徳川二代目秀忠の正室であったので、豊臣方によって建立された養源院をそのまま再建する訳にもいかなかったらしく、伏見城で自害した徳川派の忠臣「鳥居元忠」ら380名の血の跡が残る床板を天井板(血天井)とし、徳川の菩提寺とすることで再建されたとか。

門をくぐると程なく本堂が見えてきます。
養源院3.jpg

堂内は撮影禁止なので、ここからはネット掲載からの画像で。
本堂に入るとガラス戸で覆われた俵屋宗達の杉戸絵「唐獅子図」がお出迎え。
養源院-獅子.jpg
向かって左側の金獅子は何処から見ても目線が合うと言う「八方睨み」で描かれています。
杉戸に金箔を直接貼り、杉板の模様で獅子の毛並みを表現しているのですが、湯川秀樹博士がその手法を「天才の仕事」と絶賛したそうです。


ここ養源院では職員の方がそれぞれの作品や堂内の説明をしてくれます(途中からはカセットテープによる説明もありますが)
拝観料500円を納めると、左奥の部屋の前で先に入ったグループを待つ様に指示されました。
もう少し獅子を見ていたかったんだけどなぁ。
(途中で参加した人は途中で説明のグループに加わり、終わった人は適当なところで説明のグループから抜けるシステムの様です)


左奥の部屋には地蔵菩薩立像や千鳥の壷、狩野山楽による牡丹の襖絵を見る事が出来ます。
この部屋だけはまだ修復が全く行われていないとのことで、壁などにも大きな染みなどが目立っていました。
伏見城からの遺構は血天井だけではなく、左甚五郎作と言われる鶯張りの廊下も移築されているのですが、まだ伏見城に千鳥の壷(香炉)があった頃に天下の大泥棒「石川五右衛門」がこの壷を盗みに入ったものの、鶯張りで寝ずの番をしていた兵に見つかって捕らえられてしまい、三条河原で窯茹でにされたとかなんとか。


奥に移動して俵屋宗達の「白象図」にご対面
養源院-白象.jpg
上の写真では白象に黒い染みの様なものがありますが、近年修復されたのか? 実際の白象図ではここまで黒くなっていませんでした。
左側の象の背に3本の皺がありますが、これは宗達が大きな刷毛に胡粉を付けて一気に象の体を描いた時、たまたま胡粉が載らず掠れた部分に線が残ってしまったのを面白がってそのまま残したものだそうです。


白象を背に反対側を見ると獅子の杉戸絵の裏側には波間に遊ぶ様な動物2頭が描かれています。
養源院-水犀.jpg
説明ではこの動物は「麒麟」と言われていました。確かに麒麟にも似ているのですが背中には甲羅の様なものが見られる点や角が1本な点。これはどう見ても「麒麟」ではなく霊獣「水犀」かと(水犀にあるヒゲは見られないですが)
養源院は一度火災で消失しているので、火伏の意味で水を司るとされていた霊獣「水犀」が描かれたのでしょう。
これは俵屋宗達作ではなく、宗達の工房による作品の様です。


また普段は非公開なので見られませんでしたが、白象図の裏にも別の唐獅子が描かれています。
養源院-唐獅子.jpg
向かって右側の獅子は極楽浄土に往生する姿「往相回向(おうそうえこう)」、左側の獅子は浄土から現世へ戻る姿「現相回向(げんそうえこう)」を表していると言われています。


この獅子と白象に挟まれた中心部に俵屋宗達の「金地着色松図」に囲まれた部屋があります。
養源院-松.jpg

この部屋には狩野山楽の手に寄る6頭の唐獅子が描かれた仏壇が設置されており、養源院に縁の深い徳川家2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されていました。
山楽の獅子は今年の4月に修復を終えて公開されたばかりのようです。宗達の松図も修復が終わっており、良い状態で見る事が出来ます。
山楽の獅子は正に獅子図の王道「狩野派」な出来映えで、宗達との獅子図と比べてみるとその違いが非常に面白いものでした。


宗達は伏見城で自害した380名の武将を鎮魂する目的でこの杉戸絵を手掛けたそうですが、何故獅子と象をモチーフにしたかというと、普賢菩薩の乗り物とされる白象と文殊菩薩の乗り物獅子ということで選んだようです。
またこの杉戸絵にも空間を利用したちょっとした趣向が施されており、襖を空けて院内に入ると
養源院-入.jpg
金獅子が隠れて白獅子の奥に白象が現れ、見る人を圧倒させると言う趣向。


そして院から帰る時に水犀側の襖を空けて振り返ると
養源院-出.jpg
今度は白象と白獅子が参拝した人たちを見送る、と言う趣向になっているのだそうです。



伏見城の遺構とされる血天井はここ以外にも京都市内に何カ所かあるそうですが、養源院の血天井には鳥居元忠のものではないかと言われる血天井が移築されています。
職員の方が棒で差しながら「ここが顔で、この四角い部分が肩の辺り。ここが膝を折り曲げていて、ここに刀の跡も残っています。」とかなーーり詳しく説明してくれました。
(ずっと上向いていたら首が痛くなりました……[たらーっ(汗)]
「血天井」と言うからもっとおどろおどろしいものかと思っていたのですが流石に400年以上も経っているからなのか、説明されなければ木の染みに見えてしまう様なそんな感じ。
ただくっきりと手や足の痕なども残っている箇所もあり、当時の凄惨さが伝わって来るそんな怖さもありました。


もう一度菩薩立像のある部屋と獅子杉戸絵の説明を聞き直したところで時間も圧してきたので、次の目的地「京都国立博物館」へ向かいました。


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