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六本木で蝉時雨浴びて「バロン住友の優雅な美的生活」鑑賞 [美術館]

遅い梅雨明けをした途端に物凄い暑さがやってきました。
とは言え昨日も最高気温は34度位だったらしいので「猛暑日」とまでは行かないのですが、今まで比較的涼しい日が続いていたのでまだ暑さに体が慣れておらず妙に暑く感じてしまいます[たらーっ(汗)]

一昨日は仕事の帰りにちょっと上野の博物館か美術館にでも寄って、土日は涼しい部屋でゆっくりしていようかとも考えていたのですが、会社主催の盆踊りとかありまして定時に上がれず何処にも出かけられませんでした。
で、昨日土曜日。朝から相当暑かったんですが思い切って出かける事に。
東京・六本木にある「泉屋博古館・分館」で開催中の「バロン住友の優雅な美的生活/後期」を見てきました。

そもそもこの展覧会でのお目当ての作品は、伊藤若冲の「海棠目白図」だけ[exclamation]
表題になっている「バロン住友」こと「住友春翠」氏については「バロン住友?…どなた様?その方。住友財閥の直系者?」くらいの認識[たらーっ(汗)]
「海棠目白図」以外の作品は軽くさっと見てとっとと帰って来るつもりだったのですが、これが結構面白い展示でしてじっくり魅入ってしまいました。

「泉屋博古館」=「いずみやはくこかん」かと思ったら「せんおくはくこかん」と読むのだそうです。
ここは別館ですが、本館にあたる泉屋博古館は京都の鹿ヶ谷にあるそうで。
別館の最寄り駅は南北線の「六本木一丁目」なのですが、実は「どうせ六本木行くならついでに」とサントリー美術館のガレ展から先に見ていたので、日比谷線の「六本木」駅から歩いて行く事に。
(ガレ展の様子はまた後ほど)

しかし六本木駅からだとルートが微妙に判りにくいんですよね。少し迷った挙げ句、少し先の城山トラストタワーまで歩いてしまいました(;´∀`)
(六本木駅からだと5番出口から出てそのまままっすぐ六本木通りを数分進み、高架線で平行している首都高がカーブするすぐ手前に建っている「六本木ティーキューブ」内へ。エスカレーターには載らず左奥側に進むとティーキューブ内にあるセブンイレブンの先に「六本木一丁目」駅への連絡通路が見えてくるので出口2,3番方向に進むとやがて案内看板が見えてきます)
マップ.jpg


江ノ島のエスカーの様に続く泉ガーデン内のエスカレーターを登り切ると、いきなりビル群の中に緑溢れる一角が見えてきました。
泉屋1.jpg

泉屋博古館への案内図が見えてきたので、もうすぐそこかな?
泉屋2.jpg
(この後、道間違えて写真の右奥に見えているスウェーデン大使館[上の写真奥に見えている茶色の建物]の先まで行ってしまう[あせあせ(飛び散る汗)] 博古館はスウェーデン大使館前の信号手前左側にありました)


この特別展、開催期間は前期:2/27(土)~5/08(日)で、後期:6/04(土)~8/05(金)です。
泉屋3.jpg
「海棠目白図」が出品されるのは後期だけなので前期は敢えて行かなかったのですが、行かなかったのはちょっと失敗だったかな[あせあせ(飛び散る汗)](出品目録見る限りではそれほど入れ替えは多くなかった様ですが)


泉屋4.jpg
泉屋5.jpg
古い建物を再利用した美術館なのかな?と勝手に思っていましたが、平成14年(2002年)に新しく建てられたものでした。

ここは今回の展覧会タイトルにもなっている「バロン住友」=住友15代当主「住友吉左衛門友純(住友春翠)」の麻布別邸があった場所で、その後「旧住友会館」や「住友麻布アパートメント」に代わりました。
戦前までは永井荷風の居住していた「偏奇館(ぺんきかん・へんきかん/1945年3月の東京大空襲で焼失)」もその一角にあったそうです。
泉屋6.jpg
その後六本木一丁目の再開発計画で泉ガーデンタワーと泉屋博古館・別館が落成。
元々の起伏のある地形をそのまま利用しているので、南北線のホームがある1階から泉屋博古館に繋がる5階までエスカレーターを登っても同じ地上階という不思議な感じです。

そして六本木にあるとは思えない程緑豊かな一帯。都心ではあり得ないくらいの蝉時雨(いや、もう時雨どころじゃなく蝉土砂降りというくらいのミーンミーーンと大合唱が…w)
ここら辺一体は麻布別邸からの庭園をそのまま利用しているのだそうです。



さてお目当ての伊藤若冲作「海棠目白図」
海棠目白図.jpg
「動植綵絵」を描き始める少し前頃の作品の様です。サイズ的には「動植綵絵」とほぼ同じ。

海棠目白図2.jpg
海棠(カイドウ)と四手辛夷(シデコブシ)の樹に止まる目白押し状態のメジロが9羽+離れて1羽。
上に1羽離れて止まっているのはアカハラでしょうか?


若冲の他にも野々村仁清や板谷波山、初代宮川香山などの作品もあり、なかなか見応えがあります。
これらの作品は神戸・須磨にあった別邸や大阪・茶臼山にあった本邸に飾られてた美術品だったようです。
茶臼山本邸や須磨別邸の当時の見取り図も展示されており、須磨の方は復元模型と何処にどの作品が飾られていたかなどがパネル展示されていました。
今年の4月にトーハクで開催されていた「黒田清輝展」を見たのですが、そこで戦火で消失したため現存せずモノクロ写真でのみ紹介されていた「昔語り」と「朝妝」の写真があってビックリ。
と言う事はこの須磨別邸は空襲で焼けてしまったのかぁ(一部の門柱などは遺構として残っているそうです)


茶臼山にあった本邸は明治28年(1895年)に春翠が三菱3代目当主「岩崎久弥」から茶臼山古墳一帯を購入。荒れ放題だった土地を少しずつ整備してようやく全ての建物が落成したのが大正7年(1918年)
実に完成までに23年をかけて作り上げた春翠こだわりの建築物だったそうなのですが、その間に大阪地区の発展は急速に進み、すぐ隣の天王寺公園では第5回内国勧業博覧会が開催されたり(茶臼山本邸の一角にもウォーターシュートが設置され、それは賑わったそうです) 労働者の集会が行われ、すぐ隣にある財閥の本邸が妬みの対象になったり、閑静な生活を送る場とはとても言えない環境になってしまったことからか、完成して僅か2年後には本邸を含む邸地を全て大阪市に寄贈してしまいます。

春翠と言う人はあまり物に固執しないタイプの人だったのか、長年収集した青銅器コレクションを市に全て寄贈しようとしたりする程だったのですが(この時は市側が遠慮して受け取らなかったため、青銅器コレクションは京都の泉屋博古館で見る事が出来ます)茶臼山本邸だけは相当の思い入れがあったらしく、息子に「人生最大の失敗は茶臼山に家を建てた事だ」と言う程だったようです。
<現在の本邸跡地には、本邸の一部を再利用した「慶沢園(けいたくえん)」と大阪市立美術館が建っています>


若冲の「海棠目白図」ももちろん良かったけれど、茶臼山本邸や須磨別邸の展示もなかなか面白くてじっくり鑑賞。
近年、イギリスで大正7年に英国王子コンノート公(エリザベス女王の三男)が須磨別邸を訪れた際のフィルムが発見されたそうで、会場ではそのフィルムも放映されていました。
(1カットだけ春翠自身が写っているシーンもありました)
別館自体は2部屋で構成されている小さな美術館なので、見ようと思えば15分程で見て回れる程度なのでしょうが、思っていたより入館者も多かった事もあって1時間程かけてゆっくり鑑賞してから帰途に着きました。


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