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宮ノ下富士屋ホテル【アイリーとハーミテイジの謎】ヴィンテージフォトから推察 [旅行]

今回の記事は趣味の古いもの考察記事なのでグダグダ長めです(;´∀`)[あせあせ(飛び散る汗)]
レトロ建築や古写真に興味がある方はどうぞお楽しみください。


先日、まとめスレ系で珍しい古写真を見つけました。

竣工当初(明治24年(1891))の本館
完成当時の本館.jpg
竣工当初は玄関上の鳳凰の飾り部分は白くなかったんですね。

今の本館と比べると正面部分が結構変っていることが判ります。
玄関ポーチが開放状態になっているからか、竣工当初の方が何だか随分大きな建物の様に見えます。
平成本館.jpg
富士屋ホテル現在.jpg
(下の写真は塗りが新しいのでちょっとだけ昔の富士屋ホテルみたいですが)


先の記事でちょこっと記載しましたが、富士屋ホテルには全部で7棟の登録有形文化財となっている建築物(アイリー、本館、西洋館1、2号館、食堂棟、花御殿、菊華荘)があります。

今回の旅行では菊華荘とアイリー以外は全て見学してきました。
菊華荘は朝食に和定食でもチョイスしなければ敷地内に入れないのではないかと思っていたのですが、ここも普通に外観だけなら見学可能だったようです(内部も見学可能な時もあるそうで)。
菊華荘を見学してきた人たちがブログなどで写真載せていたので、それならばアイリーももしかして写真載せているんじゃないかと期待して検索してみたのですが、現存する建築物なのに「文化遺産オンライン」のサイトと、富士屋四代目社長の孫である山口由美さんの著書「箱根富士屋ホテル物語」に載っていた写真以外見つけられないのです。
うーん、もっと簡単に写真見つかるかと思ったのに意外な…。


ようやく唯一下の古写真と同じものを紹介しているサイトを見つけました。
富士屋ホテル明治24年頃か.jpg
そのサイトでは

「明治24年(1891)に新築された富士屋ホテル本館と付属の建物群。平屋(後にアイリーと改称)と呼ばれる本館の左に見える洋館は、当初は本館の前にあったが、移築された。右端の二階建ての洋館は明治19年(1886)に建設された下の西洋館(大正9年〔1920〕ハミテージと改称)である。」

と記載があったので、最初はてっきり本館手前の建物がアイリー、右横の白い二階建ての建物がハーミテイジかと思っていました。
でも文化遺産オンラインのアイリー写真と比べると屋根の形状がどうも違う気がします。
文化遺産アイリー.jpg

「箱根富士屋ホテル物語」によるとアイリーは大正4(1915)年に二階建てに改修されているので、上に二階部分を載せたのだとしたら今の写真とイメージが違うのかもしれません。
でも書籍の方に載っていた平屋状態のアイリーの写真と比べてみてもやはりどうも違う様です。


その後「長崎大学附属図書館」のサイトでも下記の古写真と同じものを見つけたのですが、これがまた沢山の建物ありすぎて、一体どれがハーミテイジでどれがアイリーなのやら[あせあせ(飛び散る汗)]
富士屋ホテル全体明治30年以前か.jpg

ハーミテイジ(隠者の庵)と後年愛称が付いた建物は、明治17年(1884)竣工のアイリー、明治18年竣工の日本館に引き続いて明治19年に竣工されたもので、昭和60年(1985)まで現存していた筈なのですが、こちらもアイリー同様に建物全体が判る写真が探しても全く出て来ません。
建物の形で比較しようにも比較する元が無いのです。


ウェブ上で色々探してみて無いなら、富士屋ホテルに再訪した時にでも資料室で再度じっくりそれらしいのを探してみるしか無いのかなぁ、と思っていたのですが、案外ひょんなところからアイリーとハーミテイジ、そして日本館の写真を探す事が出来たのでした。


【追記】
「ぼくの近代建築コレクション」の流一さんが、庭園に移築された後の貴重なアイリーとハーミテイジの写真をアップして下さいました。
 是非併せてご覧ください。
 


続きは ↓ から。

なお今回の記事では全てクリックで写真拡大致します(いや、このブログでは殆どの記事写真がクリック拡大しますが)
クリックしてレトロなFujiya Hotelをお楽しみください。



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国内のサイトでは全くと言っても良い程アイリーやハーミテイジの情報は得られなかったのですが、海外サイトを探してみると非常に状態の良い古写真やアンティークポストカードが沢山アップされているのに気付きました。
その中で見つけた1枚。明治時代に撮影されたとは思えない程恐ろしく綺麗で精彩な写真です。

Fujiya Hotel at Miyanoshita
Handcolored japanese albumen print ca. 1897.(明治30年)
Photographer: Kusakabe Kimbei
富士屋ホテル明治30年.jpg
先述の写真と良く似た写真ですが、よくよく見ると樹の大きさや本数が違うし、左下の建物も少し違っています。どうもこちらの方が先述の写真より数年後に撮影されたもののようです。
(追記:後日、先述の写真の撮影年も明治30年[1897年]という文献を見つけました。が、どちらが真に明治30年に撮影された富士屋ホテルかは不明です)
この写真でもアイリーやハーミテイジがどれなのかいまいち判りません。
文化遺産オンラインの写真ではアイリーは緑色の屋根をしていますが、色彩は手彩色によるものなので正確な色であるかどうかは不明だからです。

先述の写真もそうですが、本館の前にアイリーらしき建物は無いので既に本館左に移築された後の写真なのでしょう。
とすると本館左側に建っているフリルの様な飾りが付いた屋根がアイリーではないかと。


フリル状屋根と言えば先に載せた写真で本館左手前にあった建物もフリル状屋根が載っています。
富士屋ホテル明治24年頃か.jpg
やっぱりこれが移築する前のアイリーなのかなぁ…???


更に海外サイトを調べてみると「これがアイリー(Eyrie)なのではないかと思っている」と記載された写真を見つけました。

日本館.jpg
ん、んんんーーーー?
確かに富士屋ホテル物語に記載されていた『客室十二室からなる木造平屋の建物だった』『中央に玄関を置き…』という形状とは一致するような気もします。
しかしアイリーは『中央に玄関を置き、左右を八角形に張り出した構造』
この写真ではどう見ても四角形にしか見えません。
そして手前右側に見えてるフリル屋根状の建物は本館前に建っているアイリーかとも疑った建物の様です。

となるとこの謎の平屋は本館から見て左側ではなく左手前側にある建物ということになります。
建物の後ろに見えている鳥居は熊野神社と考えると、場所的には今の花御殿付近でしょうか。
明治18年(1885)に建てられた日本館(関東大震災で倒壊して現存せず)が、日本館と食堂、バー、料理場などを設けた建物で『五棟の平屋を繋いだ数寄屋造り』と記載されている事から考えると、どうもこれはアイリーではなく日本館の様です。



思わぬ所から日本館の全体写真は見つかりましたが、アイリーとハーミテイジは相変わらず無いなぁ、と探していると今度はこんな古写真を見つけました。

Albumen Photograph, c1890, Large (8 x 10 in) Tourist Trade Photograph "414" (showing old Fujiya Hotel).
アイリーとハーミテイジ.jpg
ん?んんんーーーー[exclamation&question][あせあせ(飛び散る汗)]
元サイトには1890年(明治23年)とあるので、本館竣工の前年の写真です。
こ、これは…間違いなくアイリーとハーミテイジ!!!

手前側に写っている最初にアイリーではないかと疑ったフリル屋根の建物はやはりアイリーではなかったと言う事が判明しました。
明治18年(1885)に建てられた日本館に付随した建物のうちのどれか(食堂?バー辺り?)だったのかもしれません。


そして本館右横にあった白い2階建ての建物

この写真と見比べて見ると、青い屋根の2階建てとは明らかにハーミテイジとは違った建物です。
ハーミテイジは本館の下側にあったことから「下の西洋館」と称されていたそうなので、ハーミテイジと思っていた建物の手前側に建っている茶色の屋根の建物の方?
富士屋ホテル全体明治30年以前か.jpg

更に探すと同じ構図の別の古写真が見つかりました。
拡大出来るので拡大して見たところ
ハーミテイジ.jpg
やっぱりこっちの茶色の屋根の方がハーミテイジだヽ(・∀・)ノ
となると本館右横の水色の屋根の方は明治20年(1887)に建てられた二棟建ての日本館:通称「別荘(後のフォレストロッヂ)」なのでしょう。
この「別荘」は後年(おそらく食堂棟が竣工する前年の昭和4年辺り)現在のフォレスト館がある場所に移築され「フォレストロッヂ」と愛称が付きましたが、昭和35年(1960)に現フォレスト館を新しく造る際に取り壊されています。



アイリーとハーミテイジの写真がようやく見つかったところで、今度は次の疑問が出てきました。
アイリーは本館左横側から昭和10年(1935)に現在の位置(フォレスト館左側)に移築されていますが、同じく大正9年(1920)に先に庭園側に移築されたハーミテイジは昭和60年(1985)まで一体何処に建っていたのか?ということです。

「箱根富士屋ホテル物語」ではハーミテイジ跡地は「Fujiya Farm」と名付けられた野菜とハーブの畑になったそうなのですが、庭園を散策した時にはそんなファームは見掛けませんでした。
怪しいのは温室の先にあった造成されて間もないイングリッシュガーデンがあった場所なのですが、それが証明出来る記述が何処にもありません。


しかしこれも英語サイトで見つけた1964年(昭和39年)の英語向けパンフレットの画像で、推測が正しかったことがハッキリしました。
fujiya_complex_c1964.jpg
fujiya_floor-plan_c1964.jpg
これにハッキリと「EYRIE(アイリー)」「HERMITAGE(ハーミテイジ)」の記載があります。
1964年当時はまだアイリーもハーミテイジも客室として利用されていた様です。

西洋館の時に書いていた謎の三号館についても「COZY HOUSE」として載っています。
もともと三号館は小さい館だったみたいですね。
下記の古い写真(花御殿竣工直後?)では屋根部分だけですが三号館コージーハウスの屋根部分だけが見えています。富士屋-昭和11年頃か.jpg



フロアマップを見ると、カスケードルームの先にあるGARDEN ROOM付近(昨日の日記参照)には「40」と番号が振られているスペースがあります。
戦前と接収解除後の富士屋ホテルに宿泊した事がある古川緑波のエッセイ「ロッパの悲食記」内の「富士屋ホテル」によれば

グリルも、昔とは場所が変った。前は食堂の上の方の、小さな建物だったのが、今度は、場所が変って、ずっと大きくなっている。

との記述があるので、もしかすると戦前はGARDEN ROOM内にグリル「ウィステリア」があったのかもしれません。


アイリー、ハーミテイジなどについてはこれで詳細が判ったのですが、他にも富士屋ホテル内には多くの建物が存在していた様で、何れもこまめに改修や移築を繰り返しているのでまだ謎な建築物もいろいろあります。

例えば昭和初期に撮影されたと思われるサンパーラーの古写真
(追記:昭和初期かと思ったら大正9年[1920年])の写真だそうです)
サンパーラー昭和初期.jpg
現在では花御殿が見える位置に建物が見えるのですが、建物の形を見ると明らかに花御殿以外の建物です。
花御殿(1936年/昭和11年)を竣工する前はアイリー(1935年/昭和10年に現在の場所へ移築)が建っていたものと推測していたのですが、どうもアイリーには見えないしこの建物はなんなんでしょうね[たらーっ(汗)]

1930年(昭和5年)と記載があったサンパーラーの写真ではこの謎の建物はありません。
サンパーラー1930年.jpg
アイリーの他にもう一棟何か他の建物があったのかもしれませんが、そうだとしても記録が全くないし。うーん[あせあせ(飛び散る汗)]



さて、引っ張って来た富士屋ホテルネタはここらで終わらせて、そろそろ箱根旅行記2日目に戻ります。







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