成田山新勝寺で紅葉狩り [ちょこっとうろちょろ]
先週末の土曜日(11/18)は両親&妹と4人で千葉方面へドライブしてきました。
TVで成田山の紅葉を見た母が「行きたい」と父に言い出したのが事の発端。
私はその日は1人で別の美術館を見に行く予定だったのですが、方角としては千葉方面にある美術館ということで母も行きたがったため、父の運転する車に一緒に乗って行く事に。
近くに住んでいる妹は旦那が仕事&娘が学校で家に1人だけになってしまうのでついでに、ということで久しぶりに家族4人水入らずで車でお出掛け、ということになった訳です。
(まぁ今年の夏にも家族4人でホテル雅叙園の百段階段へ行きましたが、あの時は電車だったので)
自宅出てから2時間ほどで成田山新勝寺に到着。
成田山へは何度か来ていますが、以前来たのは何時だったか…。もう10年以上前だった筈なので結構久しぶりです。
電車で来た時は総門から入るのですが、今回は車なので成田山新勝寺に隣接している裏手の駐車場から入ります。
写真多めなので続きは ↓ から。
駐車場から境内へ向かう途中の道には永代供養の石碑が沢山建っていました。
明治~昭和初期頃に奉納されたものが多く、大きさや奉納金額もまちまちみたいです。
写真の供養碑には「明治十一年 金千圓」と書かれていました。この当時の千円ってどの位の価値があったんでしょうね
(調べてみるとまちまちではありますが明治10年頃の1000円=今の数百万円(300~750万)ほどだそうです)
シャッター通りとなっているお土産屋さんの通りを抜け、境内へ入ると結構古いお堂が見えてきました。
1858(安政5)年に建立された重要文化財の釈迦堂だそうです。
いつもは総門から入る事が多かったので、成田山の境内にこんな古いお堂があるとは知りませんでした。
一面に浮き彫りが施されていて結構スゴイ…。
両親&妹は姪の合格祈願で釈迦堂へお参りに。私は先に進んで大本堂でお参りし御朱印を頂くことにしました。
釈迦堂を抜けて先へ進むと大本堂が見えてきます。
1968(昭和43)年の建立なので、他の建築物と比べると割と新しめなお堂です。
成田山には子供の頃にも何度か来ているのですが、総門側から入るとまず目にするのがこの大本堂なので一番記憶に残っているのはやはりここ。
御朱印はこの大本堂の他にも4カ所で頂く事が出来るようでしたが、今回は大本堂の分だけを頂いてきました。
大本堂前に建っている三重塔
比較的新しく見えるのですが、1712(正徳2)年に建立された重要文化財です。
こちらは1722(享保7)年に建立された一切経堂
成田市の指定文化財です。
中には約二千冊の一切経を納めた転輪経蔵が安置されています。
成田山に併設された成田山公園へ来ました。
結構幼少の頃に母と母の友人に連れられてこの公園へ来た事があったそうなのですが、全く見覚えがありません
最も父に言わせれば、この公園もだいぶ整備されているようで昔とは結構変わっている、との事。
紅葉が綺麗なのですが、天気だけが残念
小高くなっている丘を降りてくると池が見えてきます。
成田山公園には3つの池があってそれぞれ文殊、竜樹、竜智の名前が付いているんだそうです。
竜智の池の浮御堂。
池には沢山の鯉が泳いでいて、水際に立つと餌欲しさに集まってきていました。
公園内には成田山書道美術館などもありましたが、今回行きたい美術館はそこではないのでパス。
何れ時間がある時にでも再訪してゆっくり散策したいものです。
平和の大塔下にある西洋庭園
水は流れていないけれど、ライオンのこんな彫像がありました。
うーん、お寺とライオン。何だか非常にミスマッチ
公園を出てまた成田山の境内へ。
ここは1701(元禄14)年に建立された重要文化財の光明堂です。
ざっくり成田山を一周したところで時間的にもお昼になったので、総門前に続く商店街へ出て鰻屋さんでお昼ご飯。
店舗の軒先で生きた鰻を捌いて焼くので出てくるまでに30分ほどかかります。
私は鰻苦手なので炭火焼の鳥と卵焼きが乗った鳥重を食べましたが、残念ながら肉も卵焼きもぼそぼそしていてそれほど美味しくありませんでした
鰻も薄味で、鹿児島生まれの母たちの口にはちょっと合わなかった様です。甘口のたれでうな重を食べたいなら近畿より西に行って食べないと…。
時間も推して来たので次の目的地「DIC川村記念美術館」へ急ぎます。
TVで成田山の紅葉を見た母が「行きたい」と父に言い出したのが事の発端。
私はその日は1人で別の美術館を見に行く予定だったのですが、方角としては千葉方面にある美術館ということで母も行きたがったため、父の運転する車に一緒に乗って行く事に。
近くに住んでいる妹は旦那が仕事&娘が学校で家に1人だけになってしまうのでついでに、ということで久しぶりに家族4人水入らずで車でお出掛け、ということになった訳です。
(まぁ今年の夏にも家族4人でホテル雅叙園の百段階段へ行きましたが、あの時は電車だったので)
自宅出てから2時間ほどで成田山新勝寺に到着。
成田山へは何度か来ていますが、以前来たのは何時だったか…。もう10年以上前だった筈なので結構久しぶりです。
電車で来た時は総門から入るのですが、今回は車なので成田山新勝寺に隣接している裏手の駐車場から入ります。
写真多めなので続きは ↓ から。
駐車場から境内へ向かう途中の道には永代供養の石碑が沢山建っていました。
明治~昭和初期頃に奉納されたものが多く、大きさや奉納金額もまちまちみたいです。
写真の供養碑には「明治十一年 金千圓」と書かれていました。この当時の千円ってどの位の価値があったんでしょうね
(調べてみるとまちまちではありますが明治10年頃の1000円=今の数百万円(300~750万)ほどだそうです)
シャッター通りとなっているお土産屋さんの通りを抜け、境内へ入ると結構古いお堂が見えてきました。
1858(安政5)年に建立された重要文化財の釈迦堂だそうです。
いつもは総門から入る事が多かったので、成田山の境内にこんな古いお堂があるとは知りませんでした。
一面に浮き彫りが施されていて結構スゴイ…。
両親&妹は姪の合格祈願で釈迦堂へお参りに。私は先に進んで大本堂でお参りし御朱印を頂くことにしました。
釈迦堂を抜けて先へ進むと大本堂が見えてきます。
1968(昭和43)年の建立なので、他の建築物と比べると割と新しめなお堂です。
成田山には子供の頃にも何度か来ているのですが、総門側から入るとまず目にするのがこの大本堂なので一番記憶に残っているのはやはりここ。
御朱印はこの大本堂の他にも4カ所で頂く事が出来るようでしたが、今回は大本堂の分だけを頂いてきました。
大本堂前に建っている三重塔
比較的新しく見えるのですが、1712(正徳2)年に建立された重要文化財です。
こちらは1722(享保7)年に建立された一切経堂
成田市の指定文化財です。
中には約二千冊の一切経を納めた転輪経蔵が安置されています。
成田山に併設された成田山公園へ来ました。
結構幼少の頃に母と母の友人に連れられてこの公園へ来た事があったそうなのですが、全く見覚えがありません
最も父に言わせれば、この公園もだいぶ整備されているようで昔とは結構変わっている、との事。
紅葉が綺麗なのですが、天気だけが残念
小高くなっている丘を降りてくると池が見えてきます。
成田山公園には3つの池があってそれぞれ文殊、竜樹、竜智の名前が付いているんだそうです。
竜智の池の浮御堂。
池には沢山の鯉が泳いでいて、水際に立つと餌欲しさに集まってきていました。
公園内には成田山書道美術館などもありましたが、今回行きたい美術館はそこではないのでパス。
何れ時間がある時にでも再訪してゆっくり散策したいものです。
平和の大塔下にある西洋庭園
水は流れていないけれど、ライオンのこんな彫像がありました。
うーん、お寺とライオン。何だか非常にミスマッチ
公園を出てまた成田山の境内へ。
ここは1701(元禄14)年に建立された重要文化財の光明堂です。
ざっくり成田山を一周したところで時間的にもお昼になったので、総門前に続く商店街へ出て鰻屋さんでお昼ご飯。
店舗の軒先で生きた鰻を捌いて焼くので出てくるまでに30分ほどかかります。
私は鰻苦手なので炭火焼の鳥と卵焼きが乗った鳥重を食べましたが、残念ながら肉も卵焼きもぼそぼそしていてそれほど美味しくありませんでした
鰻も薄味で、鹿児島生まれの母たちの口にはちょっと合わなかった様です。甘口のたれでうな重を食べたいなら近畿より西に行って食べないと…。
時間も推して来たので次の目的地「DIC川村記念美術館」へ急ぎます。
タグ:神社仏閣
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