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忘れられた天才絵師「横山華山展」@東京ステーションギャラリー [美術館]

秋と言えば「芸術の秋」なのに、最近ちっとも美術館とか行っていないなー(;´Д`)
もちろん行きたい特別展はちらほらあったのですが、山梨旅行や氷川きよし明治座講演など予定が目白押しだったので、体力温存のため週末仕事帰りのお出掛けを自重気味にしていたのです。

そろそろ美術館&博物館廻りも再開しようと思い、さて何の特別展から見ようかな、と考えていた矢先でした。
10月6日放送の「美の巨人たち」で見た「横山華山作 紅花屏風」
華山作品4.jpg
何なに?若冲の後継者とも言われていた天才絵師で、夏目漱石の著書にもその名が記される位に有名だったのに、今はすっかり忘れ去られた存在…?
「かざん」と言えば「渡辺 崋山」は知っているけれど、確かに「横山 華山」はちょっと見た事あったか記憶無いなぁ…(;´∀`)

最近めっきり行っていなかったのでノーチェックだった東京ステーションギャラリーで11月11日(日)まで企画展が開催されている様です。
そして放送されていた「紅花屏風」は10月14日(日)までの期間限定公開とのこと。
…これは週末に行くしかないですね(`・ω・)ゞビシッ!!

ということで、前期ギリの12日(金)に出掛けてきました、東京ステーションギャラリー。
華山.JPG
東京駅開業100年記念の企画展以来なので4年ぶりです。



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会場内は金曜の夜だというのにそれなりに混雑していました。
華山1.JPG
作品展示数的にはそれほど多くないのですが、絵巻の前にはずらりと列が並びなかなか前に進みません。
やっぱりTV効果なのかなぁ。
…まぁ斯く言う私もその内の1人だったりする訳なのですが(;´∀`)[たらーっ(汗)]


横川華山は天明元年(1781年)(または天明4年(1784年))に京都(越後出生説も有り。TVでは福井藩生まれ)に生まれます。
生家は貧しい暮らしぶりだったらしく、若かりし頃の華山は北野天満宮で砂絵を描いてみせ、日銭を稼いでその日をどうにか過ごしていたそうです(”美の巨人たち”では生後間もなく両親と死別。その後5歳で横山分家の養子に。北野天満宮で砂絵を描いていた幼少期の華山を見掛けた円山応挙が褒めた、というエピソードが紹介されていました)。

西陣織業を営む横山家の分家である「横山惟聲」の養子となり、本家がパトロンをしていた曾我蕭白に私淑。
狩野派の絵師や虎の絵で有名な岸駒に師事し、円山応挙や四条派、果ては西洋絵画の影響も受けた結果、描くテーマによりその画風を描き分けたり、合わせ技で描いたり、と様々な手法を駆使して緻密に描く腕を磨いていったようです。

確かに花鳥図系の作品を見ると若冲に似た緻密さがあるのですが
華山作品1.jpg
(↑今回の出品作ではないけれど、ブルックリン美術館所蔵の『松に鶴図屏風』)
個人的には若冲の後継者、と言うよりは長澤蘆雪や河鍋暁斎に画風が似ているな、と思いました。
(河鍋暁斎は華山よりも後年の人なので、影響受けたとすれば暁斎の方なのでしょうが)


今回見て来た「紅花屏風」は当時京都で紅問屋をしていた伊勢屋が、紅を作る工程を屏風に描き、祇園祭と同時に行われる屏風祭で披露するために横山華山に制作を依頼したものなのだとか。
華山はリアリティを追求すべく、実際の紅作りを見に京都から武州(今の埼玉)へ出掛け右隻側を描き上げ、そしてその2年後には伊勢屋の主な取引先であった山形・最上まで脚を運び左隻側を描き上げます。
最初に武州に旅立ってから全て描き上げるまで6年もかかった大作「紅花屏風」には右隻と左隻併せて220人の人物が描かれているのですが、これがどの人物も非常に生き生きと描かれているのです。
…実物の屏風に描かれた人物は小さ過ぎて、老眼にはちょっと見えにくかったですが(>_<)
こちらのブログで『美の巨人たち』で放送された内容が詳しく書かれていました。『紅花屏風』に描かれた人物の表情もよく判るので是非一読あれ)


紅花屏風も良かったのですが、個人的には祇園祭を描いた長さ30mの大作「祇園祭礼図巻」が良かったです。
個人蔵作品なので、普段はなかなか見る事が出来ない筈。
華山作品3.jpg
今年の夏にも京都へ見に行ったので親近感が涌くのですよ、祇園祭(*´ω`*)

下書きまできちんと残されています。
華山作品2.jpg
上巻には先祭の山鉾巡行の様子、下巻には後祭の山鉾巡行と神幸祭の神輿渡御、現在は行われていない行事である芸妓が練り歩く「神輿洗練物(みこしあらいねりもの)」の様子が描かれています。
また台風で懸装品を汚損してしまい休み山となってしまった「鷹山」の様子も詳細に描かれており、現在復興に向けて動いている鷹山の資料として参考にされているのだそうです。

もっともこの祇園祭礼図巻が描かれた時には既に鷹山は休み山となってから10年程経っているのですが、何故休み山となっていた鷹山を描いたのかはこちらのサイトに詳しく書かれておりました。


その他にも華山の弟子の小澤華獄が描いた「蝶々踊図巻」がちょっと面白かったかも。
小澤華獄蝶々踊図巻.jpg
天保8年(1837)に大塩平八郎の乱で焼失した大阪の天満宮を再建するため、翌年天保9年に砂持(すなもち)という行事<氏子たちが川を浚えて得た砂を運び、社地を整える神事>が行われましたが、その際民衆が仮装して「ちょうちょう」とか「ちょいちょい」と掛け声を上げながら練り歩くお祭り騒ぎが起こりました。
その翌年の天保10年の春、何故か京都でも「蝶々踊り」と呼ばれるお祭り騒ぎが始まり、約1ヶ月間もの間、おのおの仮装した民衆が踊り狂った様子を描いた図巻なんだとか(;´∀`)
(蝶々踊りの屏風も展示されていました)



横山華山は明治初期頃までは人口に膾炙する江戸時代の絵師であったことは、夏目漱石の著書「坊っちゃん」や「永日小品」にも書かれていることから間違いなかったようです。

「坊っちゃん」では、主人公の坊っちゃんが下宿先の主人から売りつけられそうになるのが華山の作品で

 『亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。
 始めに持って来たのは何でも印材で、十 ばかり並べておいて、
 みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。

 田舎巡りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、
 今度は華山とか何とか云う男の花鳥の掛物をもって来た。
 自分で床の間へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、
 そうかなと好加減に挨拶をすると、

 華山には二人ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、
 この幅はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、
 どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促をする。
 

この時坊っちゃんが売りつけられそうになったのは渡辺崋山だったのか横山華山だったのかは定かではありませんが、この頃(『坊っちゃん』発表は明治39年(1906))の15円というのは現在の価格で5万円前後くらい。
もしこの華山作品が本物だったとしたら、坊っちゃん買わなかったのは損だったのでは…(;´∀`)


明治時代になってからその多くが海外に流出してしまったこと、四条派や円山派など派閥にカテゴライズされなかったことでいつの間にか忘れ去られた存在になってしまったのではないか、と「美の巨人たち」では説明されていました。

横山華山、今回の企画展を機に若冲の様に思い出された絵師になるのでしょうか。


東京ステーションギャラリーから駅構内の写真も撮って来たのですが、そちらはまた別のうろちょろ記にて。



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middrinn

芸新10月号が「今月のおすすめ!」として、同展を小さくコラムで
取り上げてたのですが、「祗園祭礼図巻」にスポットライトを当てて
たのでスルーしてました(ノ_-;)ハア… じっくり観たいですね(〃'∇'〃)
by middrinn (2018-10-25 22:02) 

そらそら

「祗園祭礼図巻」スルーしちゃダメです(>_<)

後期は作品入れ替えあるので「紅花屏風」の展示は無くなりますが、祇園祭礼図巻や蝶々踊図巻などは後期も引き続き展示ですので、じっくり観覧しにいってくださいませ。
by そらそら (2018-10-26 22:50) 

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