2018年晩秋 京都紅葉旅:2日目は東福寺の龍吟庵へ赤砂の石庭を見に [旅行]
ここしばらくの週末。
土曜日は大抵疲れ果てて1日をぐだぐだと過ごしてしまい、そのぐだぐだを日曜午前中くらいまで引きずり、午後位からようやく重い腰を上げて色々と動きだす始末
で、夜になると「あー、明日も休みだったら終わらなかったあれやこれやをやるのにな」と思うのですが、例え3連休で結局は2日目までぐだぐだ過ごしてしまうのでいつもの週末と変わらん訳で…(;´Д`)
最近のうろちょろ記が週一回日曜だけ更新となっていたのは、土曜は疲れが抜け切らず、パソコンに向かっても速攻船を漕いでしまう様な状態だったからなのですが、いい加減書き進めないとそろそろ昨年の京都うろちょろ記が忘却の彼方へ消えるよ(;´Д`)
なので既に年明けてから1ヶ月以上経ち、暦上では春となってしまったのに相当今更感もありますが、昨年11/16~17に出掛けて来た晩秋京都うろちょろ記2日目からの続きをば
参考までに1日目のうろちょろ記
18'春の「そうだ、京都行こう」勧修寺に行って、塔頭の仏光院に寄った後、永観堂へ。
永観堂→南禅寺→ねじりまんぽと巡って、
「大極殿 甘味処 栖園(せいえん)」で甘味食べて護王神社にお参りして
夜間ライトアップを見る予定が足疲れて宿泊先で力尽きる
2日目は少し早起きして朝風呂入って(←折角の温泉だったので(;´∀`))朝ご飯食べてから荷物を送り、すっかり身軽になってから、東福寺からスタートです。
続きは ↓ から
もう少し早めに出て来ようかと思ったのに、結局東福寺駅に到着したのは9時近く。
既に駅から東福寺方面に向かう人たちで流れが出来ています。
東福寺三名橋の一つ、臥雲橋(がうんきょう/江戸時代後期(弘化4年/1847年)に再建)前もこの通り
紅葉で混み合うこの時期は橋の上で立ち止まって撮影するのは禁止されているのですが、橋上から撮影している人多いですね(;´∀`)
私は一応橋の上には乗らない位置からズーム掛けて撮影
臥雲橋の上からは洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を挟んで、境内にある通天橋(つうてんきょう)を見る事が出来るのですが、午前中だと逆光になってしまうので橋名の扁額だけ撮影してきました。
臥雲橋(がうんきょう)を渡ってから歩いて2~3分ほどで東福寺に到着です。
人は多いのですが、チケット売り場には殆ど人が並んでいなかったのですぐに中へ入る事が出来ましたが
あぁぁ、全然紅葉していないヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ
続く三名橋の内、通天橋の辺りは僅かに紅葉しているのですが
日陰になっている場所はまだまだ青紅葉状態です。
東福寺は2016年秋にも妹と一緒に来ているのですが、あの時(11/26)には既に散り紅葉な状態でした。
昨年(2018年)は猛暑の影響もあって全体的に紅葉が少し遅めだったので、11月中旬になってもまだ青紅葉状態なところも多めだった訳で。
日差しがよく当たる場所は紅葉もだいぶ進んでいますが、よくよく見ると紅葉するよりも先に枯れてしまっている葉もちらほらと。
真っすぐ先に進んで
開山堂方面へ向かいます。
(右方向へ向かうと通天橋なのですが、通天橋を渡り切ってしまうと出口方面で開山堂へは戻って来れないので)
「常楽庵開山堂」
こっちは2年前(←おっと、もう3年前か)よりもだいぶ混んでいるーー(;´Д`)
開山堂に隣接する塔頭「普門院」では朝のお務め(?)が行われていました。
ぐるぐると徘徊しながら読経するお坊様達を背後に
しばし開山堂と普門院前の庭園を見ながら足を休めます。
普門院の上にある小さな楼閣部分は「伝衣閣(でんねかく)」と呼ばれており、金閣や銀閣などと並び「京の五閣」と呼ばれているのだとか。
白砂が敷かれた庭は重森三玲の手によるものと言われているそうです。
開山堂を出て通天橋方面へ向かいます。
因みに通天閣は昭和36年(1961年)に再建されたもので、三名橋の中では一番新しい橋です
開山堂方面から見た通天橋付近の紅葉は少しだけ赤くなっていましたが、色がくすんだような赤で、うーん、ちょっとこの前来た時よりも色づき悪いかも
通天橋を出ると東福寺本坊がありますが、ここは前回拝観したので通り過ぎて
今回の目的である国宝 龍吟庵を目指します。
龍吟庵へ向かう途中にある「偃月橋(えんげつきょう)」
東福寺の三名橋の中では一番古い木造橋廊で、慶長3年慶長8年(1603年)に再建されたもの。重要指定文化財に指定されています。
渡っている途中で上を見上げると平成13年(2001)に修繕された時の棟札と
大正15年(1926)の修繕時の棟札が
もう少し先にはすっかり文字が褪せて見えにくくなっているのですが
慶長8年(1603)に再建された際の棟札が掛かっています。
偃月橋の上から見た洗玉澗(せんぎょくかん)
下を流れている川は三ノ橋川と言い、鴨川に通じているそうです。
偃月橋の先にある国宝「龍吟庵」へ
ここでは作庭師 重森三玲による三つの枯山水庭園を見る事が出来ます。
方丈内は撮影禁止なのですが、庭は撮影OK。
まずは方丈正面の南庭「無の庭」
「無の庭」の通り、白砂敷きだけのシンプルな庭です。
竹垣に面白い意匠が施してあるのですが、これは雷を表しているとのこと。
「無の庭」に続く西庭は通称「龍の庭」
龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を表現しているそうです。
敷かれた白砂は海、黒砂は黒雲を表しているそうで。
北庭にあたる方丈背後には庭はないのですが、ここにも開山堂が。
堂内に入る事は出来ないのですが、東福寺第三世住持である大明(だいみん)国師の坐像(鎌倉時代の作で重要文化財)が安置されているそうです。
そして一番見たかった東庭の「不離の庭」
鞍馬の赤石を砕いて作られた赤砂が敷き詰められているのですが…逆光のせいもあってかあんまり赤く見えない(;´∀`)
雨に濡れると赤色がより映えるそうなのですが、この日は非常に良いお天気だったので…。
鞍馬の赤石は今では殆ど採掘できないそうで、よってこの赤砂も貴重なものなのだそうです。
スマホカメラで逆光を避けて撮影。赤砂なのが解ったでしょうか。
庭の中心に長石を配し、その前後に白黒の二石を配置しているのですが、これは先述した大明国師が幼い頃、熱病にかかり山中に捨てられて狼に襲撃されそうになった際、二頭の犬が出て来て国師の身を守った、という故事に基づいて配されているのだそうです。
ここまで重森三玲の庭を見たら、やっぱりもう一度本坊の庭園も見ておきたいな、と思い、本坊へ。
本坊の八相庭園も重森三玲の手によるものなのです。
写真多くなり過ぎたので続く。
土曜日は大抵疲れ果てて1日をぐだぐだと過ごしてしまい、そのぐだぐだを日曜午前中くらいまで引きずり、午後位からようやく重い腰を上げて色々と動きだす始末
で、夜になると「あー、明日も休みだったら終わらなかったあれやこれやをやるのにな」と思うのですが、例え3連休で結局は2日目までぐだぐだ過ごしてしまうのでいつもの週末と変わらん訳で…(;´Д`)
最近のうろちょろ記が週一回日曜だけ更新となっていたのは、土曜は疲れが抜け切らず、パソコンに向かっても速攻船を漕いでしまう様な状態だったからなのですが、いい加減書き進めないとそろそろ昨年の京都うろちょろ記が忘却の彼方へ消えるよ(;´Д`)
なので既に年明けてから1ヶ月以上経ち、暦上では春となってしまったのに相当今更感もありますが、昨年11/16~17に出掛けて来た晩秋京都うろちょろ記2日目からの続きをば
参考までに1日目のうろちょろ記
18'春の「そうだ、京都行こう」勧修寺に行って、塔頭の仏光院に寄った後、永観堂へ。
永観堂→南禅寺→ねじりまんぽと巡って、
「大極殿 甘味処 栖園(せいえん)」で甘味食べて護王神社にお参りして
夜間ライトアップを見る予定が足疲れて宿泊先で力尽きる
2日目は少し早起きして朝風呂入って(←折角の温泉だったので(;´∀`))朝ご飯食べてから荷物を送り、すっかり身軽になってから、東福寺からスタートです。
続きは ↓ から
もう少し早めに出て来ようかと思ったのに、結局東福寺駅に到着したのは9時近く。
既に駅から東福寺方面に向かう人たちで流れが出来ています。
東福寺三名橋の一つ、臥雲橋(がうんきょう/江戸時代後期(弘化4年/1847年)に再建)前もこの通り
紅葉で混み合うこの時期は橋の上で立ち止まって撮影するのは禁止されているのですが、橋上から撮影している人多いですね(;´∀`)
私は一応橋の上には乗らない位置からズーム掛けて撮影
臥雲橋の上からは洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を挟んで、境内にある通天橋(つうてんきょう)を見る事が出来るのですが、午前中だと逆光になってしまうので橋名の扁額だけ撮影してきました。
臥雲橋(がうんきょう)を渡ってから歩いて2~3分ほどで東福寺に到着です。
人は多いのですが、チケット売り場には殆ど人が並んでいなかったのですぐに中へ入る事が出来ましたが
あぁぁ、全然紅葉していないヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ
続く三名橋の内、通天橋の辺りは僅かに紅葉しているのですが
日陰になっている場所はまだまだ青紅葉状態です。
東福寺は2016年秋にも妹と一緒に来ているのですが、あの時(11/26)には既に散り紅葉な状態でした。
昨年(2018年)は猛暑の影響もあって全体的に紅葉が少し遅めだったので、11月中旬になってもまだ青紅葉状態なところも多めだった訳で。
日差しがよく当たる場所は紅葉もだいぶ進んでいますが、よくよく見ると紅葉するよりも先に枯れてしまっている葉もちらほらと。
真っすぐ先に進んで
開山堂方面へ向かいます。
(右方向へ向かうと通天橋なのですが、通天橋を渡り切ってしまうと出口方面で開山堂へは戻って来れないので)
「常楽庵開山堂」
こっちは2年前(←おっと、もう3年前か)よりもだいぶ混んでいるーー(;´Д`)
開山堂に隣接する塔頭「普門院」では朝のお務め(?)が行われていました。
ぐるぐると徘徊しながら読経するお坊様達を背後に
しばし開山堂と普門院前の庭園を見ながら足を休めます。
普門院の上にある小さな楼閣部分は「伝衣閣(でんねかく)」と呼ばれており、金閣や銀閣などと並び「京の五閣」と呼ばれているのだとか。
白砂が敷かれた庭は重森三玲の手によるものと言われているそうです。
開山堂を出て通天橋方面へ向かいます。
因みに通天閣は昭和36年(1961年)に再建されたもので、三名橋の中では一番新しい橋です
開山堂方面から見た通天橋付近の紅葉は少しだけ赤くなっていましたが、色がくすんだような赤で、うーん、ちょっとこの前来た時よりも色づき悪いかも
通天橋を出ると東福寺本坊がありますが、ここは前回拝観したので通り過ぎて
今回の目的である国宝 龍吟庵を目指します。
龍吟庵へ向かう途中にある「偃月橋(えんげつきょう)」
東福寺の三名橋の中では一番古い木造橋廊で、
渡っている途中で上を見上げると平成13年(2001)に修繕された時の棟札と
大正15年(1926)の修繕時の棟札が
もう少し先にはすっかり文字が褪せて見えにくくなっているのですが
慶長8年(1603)に再建された際の棟札が掛かっています。
偃月橋の上から見た洗玉澗(せんぎょくかん)
下を流れている川は三ノ橋川と言い、鴨川に通じているそうです。
偃月橋の先にある国宝「龍吟庵」へ
ここでは作庭師 重森三玲による三つの枯山水庭園を見る事が出来ます。
方丈内は撮影禁止なのですが、庭は撮影OK。
まずは方丈正面の南庭「無の庭」
「無の庭」の通り、白砂敷きだけのシンプルな庭です。
竹垣に面白い意匠が施してあるのですが、これは雷を表しているとのこと。
「無の庭」に続く西庭は通称「龍の庭」
龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を表現しているそうです。
敷かれた白砂は海、黒砂は黒雲を表しているそうで。
北庭にあたる方丈背後には庭はないのですが、ここにも開山堂が。
堂内に入る事は出来ないのですが、東福寺第三世住持である大明(だいみん)国師の坐像(鎌倉時代の作で重要文化財)が安置されているそうです。
そして一番見たかった東庭の「不離の庭」
鞍馬の赤石を砕いて作られた赤砂が敷き詰められているのですが…逆光のせいもあってかあんまり赤く見えない(;´∀`)
雨に濡れると赤色がより映えるそうなのですが、この日は非常に良いお天気だったので…。
鞍馬の赤石は今では殆ど採掘できないそうで、よってこの赤砂も貴重なものなのだそうです。
スマホカメラで逆光を避けて撮影。赤砂なのが解ったでしょうか。
庭の中心に長石を配し、その前後に白黒の二石を配置しているのですが、これは先述した大明国師が幼い頃、熱病にかかり山中に捨てられて狼に襲撃されそうになった際、二頭の犬が出て来て国師の身を守った、という故事に基づいて配されているのだそうです。
ここまで重森三玲の庭を見たら、やっぱりもう一度本坊の庭園も見ておきたいな、と思い、本坊へ。
本坊の八相庭園も重森三玲の手によるものなのです。
写真多くなり過ぎたので続く。
日々すり減っていく脳細胞の代わりに記録しておく備忘録的なお出掛けetc日記
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「東福寺の三名橋の中では一番古い木造橋廊で、慶長3年(1603年)に再建されたもの。」
とありますけど、慶長3年は1598年かと(@_@;) このコメントは削除よろぴく(^o^)丿
by middrinn (2019-02-14 16:32)
削除はしない…(;´∀`)フフフ
えーーっと、1603年に再建されたのは正しいので、慶長3年ではなく、慶長8年が正解でしたーー;
by そらそら (2019-02-14 20:52)