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2019年 平成→令和 またぎ旅【中宮寺で約3年ぶりの邂逅】 [旅行]

ただいま歯医者通い中です。
正月明けに激痛で駆け込んだ歯医者の腕が相当イマイチだったので、いろいろ探してようやく納得出来る歯医者に巡り会えたのですが、診療時間の都合で仕事がある平日は通えず土曜限定の診療なので予約がとにかく取れないのがネック[たらーっ(汗)]

4月から通い始めたのですが、まずは歯科衛生士による現在の歯の状態を細かく調べるための検査が必要とのこと。
その予約が7月末まで空きが無いというのです(;´Д`)
取り敢えず今は酷く痛む歯も無いし、と了承して7月末にキャンセル待ち込みで予約を入れたのですが、昨日「キャンセルが出た」との連絡があったのでだいぶ早めに検査を受ける事ができました。
しかしその検査がまた凄いΣ(・ω・/)/

衛生士との細かいやり取り(現在の気になる所とか、どのように治療したいかなど)から始まり、歯全体のデジカメ複数枚撮影、歯周ポケットの測定。
染色液を使って磨き残しのチェック。染色液を落としがてら歯表面のポリッシュ。
そしてレントゲン撮影(全体で1枚&歯4本ごとに8ヶ所で撮影。親不知分を追加でもう1枚)
合計1時間半ヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ [あせあせ(飛び散る汗)]

もうね、ここまで細かく事前の状態チェックしてくれる歯医者、ないですね[exclamation×2]
次回の予約はまた7月末だし、実は親不知の外から見えない中部分が虫歯らしい、ということが発覚しましたが、頑張って通おうと思います(>_<)


法隆寺の東院伽藍部分を拝観し終わって、さて次の法華寺へ移動しようかな、と歩いていると
中宮寺1.JPG
おぉぉ、立派な鐘楼Σ(・ω・/)/

鎌倉時代に造立された鐘楼だそうです。
下層の袴腰部分に板が張られていますが、この様式の鐘楼としてはもっとも古い鐘楼なのだとか。


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鐘楼の先に「→中宮寺」と書かれた立て看板があり、まだ道が続いていたので向かってみると
中宮寺2.jpg
お?おぉ??中宮寺[exclamation×2]Σ(・ω・/)/ 何か聞いた事があると思ったら、3年前にトーハクの特別展「ほほえみの御仏−二つの半跏思惟像−」でお会いした菩薩像がおわす寺院じゃないの[exclamation]

そうか、中宮寺って法隆寺の境内にあったんだ。
ここの拝観は全く予定に入れていなかったのですが、ここまで来たら拝観しない理由はないよね。
3年ぶりに弥勒菩薩半跏思惟像にご対面ーーー[ぴかぴか(新しい)]ヽ(・∀・)ノ[ぴかぴか(新しい)]
(因みに中宮寺の拝観料は法隆寺には含まれていませんが、法隆寺の拝観券を持っている人には割引があります)


中宮寺は聖徳太子の母である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の宮殿を寺にしたとも、穴穂部間人皇后の願いにより造立されたとも伝わっています。
非常にこじんまりした寺院で、拝観出来るのはこの本堂内部だけでした。
中宮寺7.JPG
な、何か結構近代的な本堂…Σ(・ω・/)/

本堂前には「中宮寺新御堂建造の碑」がありました。
中宮寺6.JPG
うーん、何か文字が薄くなっていて読み取りにくいんだけど、昭和62年にこの碑が建てられたということは、この本堂もその頃に建立されたのかな??
と、その時は思っていたのですが、帰って来てから調べてみると高松宮妃の発願で、建築家 吉田五十八氏の設計により昭和43年(1968)に建立されたものとの事でした。


取り敢えず、靴を脱いで本堂内へ。
3年前の特別展では中宮寺の菩薩半跏像一躯と、韓国の金銅半跏思惟像一躯だけのシンプルな展示でしたが、本堂内では天蓋付きで、両脇と手前に三躯の像を携えて祀られていました。

本堂内部の撮影は禁止なので、他から拝借した写真で。
中宮寺半跏菩薩像.jpg

中宮寺半跏菩薩像は50円普通切手の意匠にもなっていましたね。
中宮寺半跏菩薩像切手.jpg
(まぁこの切手デザインを知っている方はバブリー世代でしょうが(;´∀`))

本堂内には「天寿国曼荼羅繡帳(複製)」の展示もありましたが、本堂内部もじつにこじんまりとした感じです。
中宮寺の歴史や半跏菩薩像、境内にある歌碑などについて、説明テープが延々と流れていました。
一通り説明を拝聴してから外へ。


本堂の前に説明テープで聞いた歌碑が。
中宮寺8.jpg
新潟生まれの歌人 會津八一が大正9年(1920)に中宮寺を拝観した際に詠んだ歌で、本人自筆による歌碑なのですが、達筆過ぎてこれもよく読めニャイ(;´∀`)[たらーっ(汗)]

と思っていたらすぐ近くに説明用の碑がありました(笑)
中宮寺9.jpg
「みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも」

えーーと、「御仏の 顎と肘とに 尼寺の 朝の光の…ともしきろかも??」

「ともしきろかも」の意味がよく分からんなー[たらーっ(汗)]と調べてみると、やはり謎に思っていた方も多々いるらしく、會津八一が自ら注釈を入れた歌集「鹿鳴集」を購入して調べた強者の方のブログを見つけました。

その記事に寄れば「ともしきろかも」とは「かそけく(幽けく)なつかしきかな、といふほどの意」で「ろ」は意味なき助詞とのこと。
「ともしい」には「乏しい」「羨しい」の他に、「心惹かれる」の意味合いもあるそうで。

「羨(とも)しきろかも」の言い回しは古事記の一説に書かれた詩歌「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」にもあるようですが、この場合の意味は「羨ましい」という意味合いなので、會津八一が詠んだ「ともしきろかも」の漢字は「羨しき」では無いんでしょうね。


そう言えば會津八一がこの歌を詠んだのは大正時代なので本堂は今の近代建築版本堂ではなかった筈。
昔の本堂内に安置された半跏菩薩像に朝の光があたる様子はどんな感じだったかは今では分かり様もないのですが、そう言えば以前の中宮寺の写真って何処かにないのかな、と探してみました。


が、これが案外出て来ない(;´∀`)
海外サイトまで目を向けて、ようやく1枚の古いポストカードを見つけ出しました。

1910年代の大和中宮寺の全景
中宮寺12-1910年代.jpg

今の中宮寺と比べてみると
中宮寺13-2018年.jpg
入出口となっている山門部分は殆どそのままですが、今は山門は封鎖されており、隣の脇門から入るようになっています。


古ポストカードの中央に写っている建物は江戸時代に建立された中宮寺表御殿(『おもてごてん』ではなく『おもてごもん』)
中宮寺14-表御殿.jpg
ここも残っていますが、表御殿両端の建物は今はもう現存していません。
多分この建物のどちらかで會津八一は半跏菩薩像を見たのでしょうね。
【追記】
表御門向かって左側の建物は「大玄関」で、今もまだありました。
となると、右側の建物が旧本殿だったと思われます。


中宮寺は山吹の花も有名で、山吹の花を模した御守りなども授与しているのですが、出掛けた時(4/30)はちょうど山吹の花が満開(をちょっと過ぎた)時期でした。
中宮寺4.JPG
中宮寺5.jpg

よく見ると境内は尼寺らしく、様々な樹花が植えられていて綺麗です。

花蘇芳
中宮寺10.jpg

入出口付近の藤棚は比較的最近造成されたものでしょうか。
中宮寺3.jpg


小さいけれど、なかなか素敵な寺院でした。
帰りは東大門の手前で左に曲がって、JR法隆寺駅方面へ。

その途中で見掛けた郵便局
中宮寺11.JPG
周りの景観に合わせているのか、ちょっとだけ寺院チックなデザインでした(*´ω`*)



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