鉄道博物館(てっぱく)で学ぶ鉄道の歴史 [博物館]
無事に2019年上期も終了し7月になったので、仕事も多少余裕が出来るかと思いきやまだまだ忙しい毎日。
てっぱくうろちょろの続きを平日に書き溜めてアップしようかと思っていたのですが、連日睡魔に負けてしまって到底ムリでした(;´Д`)
そろそろ美術館巡りもしたいなぁと思うのですが、昨日は他の部署へ移動する人の送別会があったので断念
今日は1週間の疲れを癒すべく、一日惰眠を貪りつつゴロゴロと過ごしてしまいました。
来週は祇園祭でまた京都に行くので、その時に美術館&博物館巡りもしようかな。でも今回は特に見たい企画展や特別展が無いんですよね…
てっぱくの歴史ステーション
「鉄道輸送の黄金期 1930~1950」時代エリアからの続き
戦時中の標語付き駅弁掛け紙あれこれ
左下の掛け紙には「調製11.7.6」の文字。昭和11年7月6日でしょうか。
この頃はまだ掛け紙も、明るい色彩で汽車と風景が描かれ「旅は嬉しい流線時代圓く明るく爽かに(東京鐵道局)」とレジャー感溢れるデザインですが、その上の掛け紙はモノクロで鉄兜を被った兵士がデザインされ
「沈黙!! 一人一人が防諜戦士」と戦時色一色に…∑(゚Д゚|||)!!
続きは ↓ から
そうかと思うと戦前にはこんなものも
ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTB)クーポン取扱店のホーロー看板。
ジャパン・ツーリスト・ビューローは外国人観光客の誘客促進を目的として明治45年(1912)に設立された任意団体だそうです。そんな昔からあったんか、JTB…。
ジャパン・ツーリスト・ビューローは昭和16年(1941)には社名を社団法人東亜旅行社に改称。戦後の昭和20年(1945)9月からは「財団法人日本交通公社(JAPAN TRAVEL BUREAU)」と改称したそうなので、このホーロー看板は昭和16年以前のものですね。
JTBのサイト「JTB100年の歩み」を見てみると、鉄道博物館の前身「交通文化博物館(後の交通博物館)」を開館したのも「財団法人日本交通公社(現JTB)だったんだそうですよ。
知らなかったなぁーーΣ(・ω・/)/
(正確には東京駅 - 神田駅間高架下の呉服橋架道橋付近にあった鉄道博物館<管轄は鉄道院>が中央本線万世橋駅前に移転したのは昭和9年(1934)。その後、昭和20年(1945)3月に太平洋戦争激化のため休館。戦後、運輸省から委託され経営を開始したのが日本交通公社(現JTB))
時代は進んで「世界一への飛躍期 1950~1970」時代エリア
おぉぅ、国鉄時代。懐かしい…
と思ってよく見たら
あ、何か私の知っている国鉄よりはもうちょっと古い時代かも(;´∀`)
「電報取扱駅」のホーロー看板とか、その後ろにあるポスターのキャッチコピー「所得倍増をレールにのせて」とか。
バリバリの高度経済成長時代の香りがします。
当時の特急券販売案内を復元したチラシには1960年の文字が。
昭和35年頃の駅窓口を復元しているようです。
30円だけの切符しか買えない自動券売機
これ、うんと子供の頃、住んでいたとこの最寄りの国鉄の駅ではまだかろうじて残っていたわΣ(・ω・/)/
その金額分の切符しか買えないなんて、何て不便な、としか思えない券売機ですが、当時のきっぷ自動販売機のポスターを見てみると、これでもだいぶ画期的だったようです。
窓口の中も1960年当時に復元
券売機では買えない長距離の切符は窓口で販売。
券売機の切符は紙が薄くてふにゃっとした切符でしたが、窓口で販売している切符は硬券と呼ばれる厚手のしっかりした切符でした。
硬券に入鋏してもらうことは滅多にありませんでしたが、たまの家族旅行などで窓口で硬券を買い、鋏を入れてもらうと「パチン」といつもの切符とは少し違った重めの音がして何とも言えない優越感があったことを思い出します。
「おとこ鶴嘴どこへ行く」
またしても鉄道100年のレトロな説明板と鶴嘴(ビーター)の展示
「保線では、ツルハシ君とは長い間の深い仲でしたが、電動機械の普及で、彼にもついに閑居の気配」なんてか書かれていましたが、鉄道100年目の頃(つまり1972年(昭和47年))まではツルハシがまだ現役だったという事ですか。
今はもうWikiの「保線」項目を見ても「ビーター」は流石に載っていません。
保線に用いられるタイタンパーとビーターの使い方を分かり易く説明する為、イラスト化された基本動作の展示もありました。
これはビーターを使用した「ビータつき」の基本動作
次の項目には「タイタンパつき」のイラスト版基本動作も。
なかなか味のあるOJT用資料。いつ頃書かれた基本動作なんでしょうかね。
「未来への蓄積期 1970~1990」時代エリア
この自動券売機の前におっさん壮年の男性が3人、「懐かしいなーー、この券売機」と暫く居座っていてなかなか写真が写真が撮れませんでしたですよ(;´∀`)
まぁそういう私に取ってもこのタイプの券売機はひたすら懐かしい(苦笑)
子供用の切符はフラップ板をめくってボタンを押す仕様でした。
平成のごく初期頃まではこの手の券売機がまだ残っていた様な。
自動改札や券売機は関西方面の方が一歩進んでいた記憶があります。
1970年北大阪急行鉄道の万国博中央駅に設置されていた券売機
昭和57年(1982)当時を復元した駅の窓口
「仙台鉄道管理局」と書かれていますが、モデルは仙台駅でしょうか?
ページをパタパタとめくって発券するタイプのマルス「M形」端末もあります。
この時代エリアは昭和57年(1982)6月23日に東北新幹線が開業し
昭和62年(1987)3月31日に国鉄時代が終わり、JRに変わるまで続いていました。
そしてJR時代
懐かしいイオカードとか
現在もおなじみのSuicaとか
JRになってからの鉄道の歴史コーナーは割とざっくりしすぎ(;´∀`)
お昼ご飯は本館に戻ってトレインレストラン日本食堂で和牛すねハンバーグを食べました(*´ω`*)
東京駅構内にある黒毛和牛専門店「VIMON」で人気のハンバーグだそうですよ。
すね肉なんでだいぶ咬み応えのあるお肉でしたが、なかなか美味しかったです。
てっぱくうろちょろの続きを平日に書き溜めてアップしようかと思っていたのですが、連日睡魔に負けてしまって到底ムリでした(;´Д`)
そろそろ美術館巡りもしたいなぁと思うのですが、昨日は他の部署へ移動する人の送別会があったので断念
今日は1週間の疲れを癒すべく、一日惰眠を貪りつつゴロゴロと過ごしてしまいました。
来週は祇園祭でまた京都に行くので、その時に美術館&博物館巡りもしようかな。でも今回は特に見たい企画展や特別展が無いんですよね…
てっぱくの歴史ステーション
「鉄道輸送の黄金期 1930~1950」時代エリアからの続き
戦時中の標語付き駅弁掛け紙あれこれ
左下の掛け紙には「調製11.7.6」の文字。昭和11年7月6日でしょうか。
この頃はまだ掛け紙も、明るい色彩で汽車と風景が描かれ「旅は嬉しい流線時代圓く明るく爽かに(東京鐵道局)」とレジャー感溢れるデザインですが、その上の掛け紙はモノクロで鉄兜を被った兵士がデザインされ
「沈黙!! 一人一人が防諜戦士」と戦時色一色に…∑(゚Д゚|||)!!
続きは ↓ から
そうかと思うと戦前にはこんなものも
ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTB)クーポン取扱店のホーロー看板。
ジャパン・ツーリスト・ビューローは外国人観光客の誘客促進を目的として明治45年(1912)に設立された任意団体だそうです。そんな昔からあったんか、JTB…。
ジャパン・ツーリスト・ビューローは昭和16年(1941)には社名を社団法人東亜旅行社に改称。戦後の昭和20年(1945)9月からは「財団法人日本交通公社(JAPAN TRAVEL BUREAU)」と改称したそうなので、このホーロー看板は昭和16年以前のものですね。
JTBのサイト「JTB100年の歩み」を見てみると、鉄道博物館の前身「交通文化博物館(後の交通博物館)」を開館したのも「財団法人日本交通公社(現JTB)だったんだそうですよ。
知らなかったなぁーーΣ(・ω・/)/
(正確には東京駅 - 神田駅間高架下の呉服橋架道橋付近にあった鉄道博物館<管轄は鉄道院>が中央本線万世橋駅前に移転したのは昭和9年(1934)。その後、昭和20年(1945)3月に太平洋戦争激化のため休館。戦後、運輸省から委託され経営を開始したのが日本交通公社(現JTB))
時代は進んで「世界一への飛躍期 1950~1970」時代エリア
おぉぅ、国鉄時代。懐かしい…
と思ってよく見たら
あ、何か私の知っている国鉄よりはもうちょっと古い時代かも(;´∀`)
「電報取扱駅」のホーロー看板とか、その後ろにあるポスターのキャッチコピー「所得倍増をレールにのせて」とか。
バリバリの高度経済成長時代の香りがします。
当時の特急券販売案内を復元したチラシには1960年の文字が。
昭和35年頃の駅窓口を復元しているようです。
30円だけの切符しか買えない自動券売機
これ、うんと子供の頃、住んでいたとこの最寄りの国鉄の駅ではまだかろうじて残っていたわΣ(・ω・/)/
その金額分の切符しか買えないなんて、何て不便な、としか思えない券売機ですが、当時のきっぷ自動販売機のポスターを見てみると、これでもだいぶ画期的だったようです。
窓口の中も1960年当時に復元
券売機では買えない長距離の切符は窓口で販売。
券売機の切符は紙が薄くてふにゃっとした切符でしたが、窓口で販売している切符は硬券と呼ばれる厚手のしっかりした切符でした。
硬券に入鋏してもらうことは滅多にありませんでしたが、たまの家族旅行などで窓口で硬券を買い、鋏を入れてもらうと「パチン」といつもの切符とは少し違った重めの音がして何とも言えない優越感があったことを思い出します。
「おとこ鶴嘴どこへ行く」
またしても鉄道100年のレトロな説明板と鶴嘴(ビーター)の展示
「保線では、ツルハシ君とは長い間の深い仲でしたが、電動機械の普及で、彼にもついに閑居の気配」なんてか書かれていましたが、鉄道100年目の頃(つまり1972年(昭和47年))まではツルハシがまだ現役だったという事ですか。
今はもうWikiの「保線」項目を見ても「ビーター」は流石に載っていません。
保線に用いられるタイタンパーとビーターの使い方を分かり易く説明する為、イラスト化された基本動作の展示もありました。
これはビーターを使用した「ビータつき」の基本動作
次の項目には「タイタンパつき」のイラスト版基本動作も。
なかなか味のあるOJT用資料。いつ頃書かれた基本動作なんでしょうかね。
「未来への蓄積期 1970~1990」時代エリア
この自動券売機の前に
まぁそういう私に取ってもこのタイプの券売機はひたすら懐かしい(苦笑)
子供用の切符はフラップ板をめくってボタンを押す仕様でした。
平成のごく初期頃まではこの手の券売機がまだ残っていた様な。
自動改札や券売機は関西方面の方が一歩進んでいた記憶があります。
1970年北大阪急行鉄道の万国博中央駅に設置されていた券売機
昭和57年(1982)当時を復元した駅の窓口
「仙台鉄道管理局」と書かれていますが、モデルは仙台駅でしょうか?
ページをパタパタとめくって発券するタイプのマルス「M形」端末もあります。
この時代エリアは昭和57年(1982)6月23日に東北新幹線が開業し
昭和62年(1987)3月31日に国鉄時代が終わり、JRに変わるまで続いていました。
そしてJR時代
懐かしいイオカードとか
現在もおなじみのSuicaとか
JRになってからの鉄道の歴史コーナーは割とざっくりしすぎ(;´∀`)
お昼ご飯は本館に戻ってトレインレストラン日本食堂で和牛すねハンバーグを食べました(*´ω`*)
東京駅構内にある黒毛和牛専門店「VIMON」で人気のハンバーグだそうですよ。
すね肉なんでだいぶ咬み応えのあるお肉でしたが、なかなか美味しかったです。
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