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特別展 ミイラ ~ 「永遠の命」を求めて [博物館]

一昨日(11/8)は仕事を1時間早めに切り上げて、上野の国立科学博物館で開催が始まった特別展「ミイラ ~ 「永遠の命」を求めて」を見てきました。
ミイラ展1.JPG
金曜夜とは言え、混雑しているんじゃないかと思ったのですが、チケット売り場の並びは0人。
入場も非常にスムーズでした。
やっぱり今回のテーマがテーマなだけに空いているんだろうか、と思いきや、やはり土日はそれなりに混雑する様です。




国立科学博物館は大抵の場合、常設展、特別展ともに展示品の撮影はOKなのですが、今回は流石に撮影全てNGでした。
ミイラといえども元はかつて何処かで生きて暮らしていた人間ですので、やはり敬意を払ってのことなのでしょうね。
(これがメキシコだったりすると、共同墓地の管理費が払えない人たちは墓から掘り出されてミイラ博物館に展示されてしまったり、入場料とは別に撮影料金さえ払えばカメラ撮影もOKなのだそうですが…(;´Д`)[あせあせ(飛び散る汗)]


なお、今回は撮影OKの写真しか載せていませんが、リンク先にはだいぶショッキングな写真なども載っています。くれぐれも個人責任でクリックしてください。


続きは ↓ から


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国立科学博物館(かはく)の日本館には常設展示で江戸時代のミイラが展示されています。
あまり知られていない様ですが、実は東京国立博物館の東洋館にも「パシェリエンプタハのミイラ」が所蔵されています(トーハクの方は現在展示されていない模様)

私が子供の頃はかはくの別館の1つである自然史館(後のみどり館。今はもう取り壊されてありません)に女性と子供2体のミイラと干首3体が展示されており、科学博物館に行く度に見ていました。

なのでミイラ見るのは全く大丈夫なのですが、インカ帝国展で「まなざしのあるミイラ」を見て以来、チャチャポヤのミイラだけはちょっとだけトラウマ気味[たらーっ(汗)]




館内は「第一章 南北アメリカのミイラ」「第二章 古代エジプトのミイラ」「第三章 ヨーロッパのミイラ」「第四章 オセアニアと東アジアのミイラ」と地域ごとに分かれて展示されています。
やはりその土地の気候などによって、ミイラの出来上がり方が違うから土地別に分類して展示したのかな、と思いきや、歴史的にもほぼこの展示順でした。


まずミイラと言えばエジプトのピラミッドから出土する包帯ぐるぐる巻きのミイラが思い浮かびますが、エジプトの最古のミイラとも考えられている「ゲベレインマン」は5400~5500年ほど前。
チリのチンチョーロ文化ではそれより1500年ほど前に人工的なミイラが作られていました。
最も南北アメリカではチンチョーロ文化以降、人工的なミイラ作りはほぼ行われておらず、ナスカ文化やチリバヤ文化などで発見されたミイラは乾燥した気候で自然にミイラとなった自然ミイラが殆どだった様です。


ヨーロッパでは人工的にミイラを作る文化はほぼなかったようですが、泥炭地から発掘された遺体が低酸素&低温状態、酸性水などの条件で腐敗せず、屍蠟化した特殊なミイラ(湿地遺体/ボッグマン)となって出土した例が多いようでした。

フライヤーなどやポスターなどでメインとなっている「ウェーリンゲメン」もオランダで発見された湿地遺体で、何とも奇妙な事に2体とも皮膚だけが残ったミイラとなっています。
ミイラ展1.JPG
これは湿地の水が酸性だと骨は溶けてしまい皮膚だけは残った状態なのだとか(逆に水がアルカリ性だと皮膚は溶けて骨だけ残るのだそうです)

更によく見るとウェーリンゲメンの大きい方のミイラ。胸の辺りに何か紐の様なものがぐるぐると置かれていました。
湿地遺体は犯罪者や生贄のため泥炭地に沈められたと推測されているそうなので、これは首を絞めた縄?それともまさか腸?と謎だったのですが、どうも胸の辺りから切り裂かれて腸が引っ張りだされた状態で池に投げ込まれたらしいです(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


日本の様に湿度が高い気候では自然にミイラとなる事例は少ないのですが、脂肪が多い状態でアルカリ性寄りの水に遺体が浸っていた場合、屍蠟化してミイラとなる場合があります。
日本館に常設展示されている女性のミイラも発見当初は屍蠟化した状態で見つかりましたが、その後乾燥が進みミイラになったものです。
今回の展示では江戸時代の兄弟ミイラが展示されていました。
この2体も元は屍蠟化した状態で発掘され、その後乾燥してミイラとなったものです。

オセアニアでは更に日本よりも高温多湿状態なので、ミイラが出来る条件は日本よりも更に難しいと思うのですが、会場内のモニターではパプアニューギニアのアンガ族のミイラ作りの映像が流れていました。
アンガ族は死者を燻製にしてミイラにするのだそうで(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

アンガ族でも燻してミイラにする方法は長い間行われておらず、2015年にミイラ作りが行われたのは相当久しぶりのことだったようです。
故人の希望でミイラ作りの一部始終を映像や写真で残したそうですが、何とも言えない死生観だな、と思いました。


そして日本で発掘された本草学者のミイラ、これも大分凄かった[あせあせ(飛び散る汗)]
天保3年(1832年)に亡くなった本草学者(氏名は表記されていなかったので分からず)なのですが、自分の研究成果を試すべく、死後自分の体の保存方法を考案してそれを実践した後に亡くなっています。
亡くなる前に「自分の死後、後世に機会があれば掘出してみよ」と言い残して亡くなったそうで。
その後時代は過ぎて昭和になり、墓所を移動する事になったため子孫が伝来通り掘出してみたところ、見事にミイラとなった本草学者が出て来たのだとか。

どうやって腐敗もせずにミイラ化したのかは謎だったのですが、近年CTスキャンにかけたところ、体内に沢山の柿の種(お菓子じゃない果物の柿の種)が発見されたのだそうです。
柿には柿渋の成分タンニンが多く含まれている事から、この柿の種から出たタンニンが防腐剤代わりになったのではないかと推測されていました。
死してなお自らの体を使って研究成果を証明した研究者魂、おそるべし∑(゚Д゚|||)!!




会場内は撮影禁止なのですが、会場途中にある「ミイラマスクチェンジャー」と



撮影コーナーだけは撮影可能です。
ミイラ展2.JPG

マスクチェンジャーは10人程並んでいたので断念(苦笑)しましたが、こういうのは良い歳した大人が一人でやるとちょっと恥ずかしいので空いていても試したか、というと微妙…(;´∀`)



第二会場にはかつて自然史館(みどり館)に展示されていたミイラと干し首が展示されていました。
干し首の方は6年前の特別展 「グレートジャーニー 人類の旅」で10年ぶりに展示されていましたが、ミイラの方は2003年にみどり館が閉館して以来の展示ではないでしょうか。
小学生の頃に「わーー、ミイラ凄い」とかはくに来る度に見に行った記憶が久しぶりに蘇ってきました。


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middrinn

ベンサムみたいに自らミイラになる学者がいたんですね( ̄◇ ̄;)
山形県に梅唇尼や鉄門海上人など多いのが気になります(@_@;)
by middrinn (2019-11-11 19:09) 

そらそら

ベンサム氏の方はだいぶ傷みが酷くて、学校の生徒達がトラウマになるわっ!って感じになっていましたけれどね;(一時期は蝋人形の足下に本物の頭部だけが置かれていた時期もあったようですし(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル)本草学者のミイラは正座したまま寝ているかのようでした。
図録に現在確認されている入定ミイラの一覧が載っていたのですが、確かに山形県が突出して多いのが気になりました。天候による不作や疫病などが多かったのでしょうか…。
by そらそら (2019-11-11 21:00) 

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