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よみがえる江戸の宣教師(バテレン) [博物館]

今週も抗菌剤服用せずに週末迎えられ万々歳[ぴかぴか(新しい)]ヽ(・∀・)ノ[ぴかぴか(新しい)]

来週末は京都へ紅葉&若冲展を見に行くのであんまり疲れは溜めない様にしなくちゃ、と思いつつもやっぱりちょっと出掛けたい金曜の夜。
さっと見て帰れる程度のボリュームの展覧会…。トーハクで厚藤四郎&長曽祢虎徹を見て来るか、それともかはくに企画展見に行くか。


刀剣は来月見て来るとして、今週末は国立科学博物館で企画展見る事にしました。
ラスコー展見に行った時についでに見ようと思っていたのに、結局見ている時間が無かったから[たらーっ(汗)]


9/13~12/4まで開催されている企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」を見る前に、本館ホールで11/12から展示が始まった企画展「よみがえる江戸の宣教師(バテレン)[シドッチ神父の遺骨発見と復顔]」を先に。


今年の夏にトーハクで「伊東マンショの肖像画」と共に「親指のマリア像」を見たのですが 、そのマリア像を持っていたのがジョバンニ・バティスタ・シドッチ神父。
Maria.jpg
Maria2.jpg
トーハクに見に行った時の「親指のマリア」の写真。かはくではパネル展示だけで現物展示はなし。


シドッチ神父は鎖国時代の日本でキリスト教を布教させたいとの思いから4年かけてマニラで日本語などを学び、1708年に日本人の侍に変装して屋久島からこっそり上陸するも、すぐにバレて捕らえられてしまいます。
出島のあった長崎から江戸へ移送され現在の文京区にあった切支丹屋敷に幽閉されるのですが、幽閉とは言え二十両五人扶持という破格の待遇扱いだったそうです。
しかしそこで世話をしてくれていた日本人夫妻に禁止されていた洗礼を行ったと言う事で地下牢に入れられてしまい10ヶ月後の1714年10月に衰弱死してしまいます。

シドッチ神父が亡くなってちょうど300年後に切支丹屋敷跡にマンションが建つ事になり、遺跡の発掘調査が行われました。
そこから長持や櫃、丸桶に埋葬されていた3体分の人骨(169、170、172号)が見つかります。
人骨はどれも状態の悪いものでしたが3体の切歯に形状の違い(170と172号はシャベル状の凹みが見られ、169号に凹みは無い)が見られ、うち169号と172号の2体からはDNAを抽出する事に成功。
ミトコンドリアDNAハプログループの検査が行われ、169号はヨーロッパ人特有のH、172号はアジア人特有のB5グループに分類されました。
またや核ゲノム解析などを行い、169号が現代のトスカーナ地方のイタリア人のゲノムに類似している事を確認。また切支丹屋敷で埋葬されたイタリア人はシドッチ神父しかいなかった事から169号がシドッチ神父であることが証明されたそうです。


シドッチ神父の頭骨は左半分と鼻部分が損傷した状態で発見されていますが(投獄中に受けた傷のせいとかではなく、土中の湿度で脆くなってしまったため)CTスキャンを行い、欠損した部分をコンピューターで反転した頭骨右側を元に復元。
3Dプリンターで復元した頭骨を元に復顔された頭部と、実際に発掘された3体の遺骨、長持や櫃の金具部分などが展示されていました。
遺骨以外は特に撮影禁止ではないので、説明パネルくらいは後で内容思い出せる様に撮影しておこうかと思ったのですが、何となくカメラ向けられず。

会場で配布されていたフライヤー(チラシ)を家に帰ってから見たら、パネル展示内容含めて全て記載されていました(*´ω`*) かはくはこういう丁寧なフライヤーを作ってくれるのが嬉しい。


「よみがえる江戸の宣教師(バテレン)」の展示は日本館1階中央ホール、11/12~12/4まで。




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