宮ノ下富士屋ホテル【西洋館一号館&二号館】そして謎の三号館 [旅行]
2007年に改訂版が発売された「箱根富士屋ホテル物語」の文庫版が出ていたので買ってみました。
著者は富士屋ホテル三代目社長(正確には四代目)の孫である方なのですが、ネットで調べても判らなかった事情背景などが書かれており、なかなか興味深い内容になっています。
今は創設者の山口家の手を離れて国際興業グループが所有する施設となっておりますが、改訂版&文庫版ではそこに至るまでの経緯も書かれていました。
一歩間違えば富士屋ホテルは今のままで残っておらず、富士屋ホテル向かいにあった奈良屋旅館の様に近代化された施設に変貌を遂げていたのかもしれません。
本館の横に建つ西洋館
1906年(明治39年)竣工【登録有形文化財/近代化産業遺産】
富士屋ホテルの創業者「山口仙之助」の時代に竣工したコテージ風の双子の木造建築物。
向かって右側に建つ一号館にはカムフィロッジ、左側に建つ二号館にはレストフルコテージの名称が付けられています。
全ての窓が鎧戸付きの上げ下げ窓になっている典型的な西洋建築でありますが、玄関部分は唐破風造りで社寺建築の様にも見えるし、よくよく考えたら非常に不思議な造り。
上の写真は一号館カムフィロッジ。こちらは二号館レストフルコテージ。
レストフルコテージ側は改修工事のため、半分バリケードに覆われてしまっていてちょっと残念。
続きは↓からどうぞ
一号館カムフィロッジの玄関部分
うーん、やっぱり玄関部分だけ見ると社寺建築っぽい。
窓は火灯窓ですし、腰板部分には獅子が彫られています。
因みにこちらの玄関からの出入りは出来ない様になっており、西洋館宿泊者は本館から西洋館へ続く廊下を通って部屋へ向かう事になります。
二号館レストフルコテージの玄関部分
一号館と同じく簡易的な木鼻(拳鼻)デザインが施されています。
一号館の腰板とは違うデザインの獅子が彫られているのですが、バリケードが…邪魔(;´Д`)
玄関からは中に入れないので、一度本館に戻って内側からも見学。
館内を1つに繋げている連絡通路にもいろいろと興味深いものが沢山あります。
(↑の写真は西洋館側から本館側を撮影しています)
本館の階段横にある古い配電盤
こんな形のブレーカーは昔のアニメでしか見た事無い…(;´∀`)
温水ヒーター
温泉地ならではの温水を使用したヒーター。
館内のあちこちでこのヒーターを見掛けます。今でも稼働しているのかどうかは判りません。
→現在も冬は温水ヒーターとして稼働している模様
レストフルコテージ側の階段
本館とほぼ同じスタイルの階段ですが、飾り彫刻などの意匠はやや簡素化されています。
レストフル側は階段両側はどちらも3室ずつ客室が配置なんですが、カムフィロッジ側は1階の1室が空室扱いになっています(元87号室。現在はカメリアという名で結婚式時の控え室で使用している様です)
2階部分も見学したかったのですが、木造で歩くだけで結構足下がギシギシ言うので見学断念(西洋館宿泊者の方がいますからね)
中から見た玄関部分(こちらはカムフィロッジ側)
両脇には客室の入口があります。
西洋館は二階建てなので、一、二号館併せても部屋数は24室しかありません。
本館は西洋館が竣工された際に1階の客室を全て潰してラウンジ(マジックルーム)にしてしまったので、今は2階部分だけが客室で11室のみです。
廊下には古いパンフレットも飾られていました。
当時の宿泊料金が書いてありました。
一泊朝夕食付き(和式)で1人一泊9円より。三食付き(米式)の部屋で1人12円~17円。専属浴室付き(米式)で1人18円~22円。特別室(米式)で1人25円。
表紙部分を拡大
写真部分を見てみると昭和5年(1930年)に竣工した食堂棟は載っていますが、昭和11年(1936年)竣工の花御殿は写っていません。
本館前には「バチェラーズクォーター」と呼ばれていたアイリー(昭和10年に現在地に移築)らしき建物が見えるので昭和5年~10年位までのパンフレットでしょうか。
昭和10年頃の物価を調べてみると大学卒の初任給で90円、小学校教師初任給で40~55円。米10kg2円39銭、ビフテキ1円。山小屋での宿泊2円などだったようなので、それを考えると富士屋ホテルの宿泊料金はやはり破格の料金設定だったようです。
「人魚の湯」と案内がある浴室は今でも貸し切り浴室の「マーメイドバス」として残っていますが、「夢の湯(ドリームプール)」は宴会場「フェニックスルーム」に変更されています。
「テイローンヂ」は今のティーラウンジ「オーキッド」ですね。テイローンヂ=ティーラウンジか(;´∀`)
宴会場「カスケードルーム」に続く付近に「ナインテンスホール」なるパーティルームもあったようです(今は案内表示板だけが残っています)
ところで西洋館には大正9年に竣工された三号館もあったようなのですが、富士屋ホテルのホテルヒストリーを見ても冒頭で書いた文庫本にもその後の三号館の事は記載されていません。
三号館は一体何処にあったんだろう? 今は壊されてしまったのか、移築されたのか、と謎に思っていたら、ひょんなところから三号館の存在が発覚しました。
それによると西洋館に不自然に1室だけ飛び出た位置にある2階の部屋115号室(※クリックで拡大します)
ここが唯一残っている三号館の客室だそうです。三号館は一、二号館の真後ろに建てられていたのですね。よくよく見るとパンフレットの古い写真にも一号館と二号館の屋根の間にもう1つ屋根があるようにも見えます。
三号館がいつ頃一室だけ残して壊されてしまったのかは判りませんが、西洋館の上側にはかつてフォレストロッジと呼ばれる建物(明治20年に竣工した旧日本館を移築したもの)があり、昭和35年(1960年)にこれを取り壊して現在のフォレスト館が出来たので、その辺りまでは存在していたのではないかと思っています。
著者は富士屋ホテル三代目社長(正確には四代目)の孫である方なのですが、ネットで調べても判らなかった事情背景などが書かれており、なかなか興味深い内容になっています。
今は創設者の山口家の手を離れて国際興業グループが所有する施設となっておりますが、改訂版&文庫版ではそこに至るまでの経緯も書かれていました。
一歩間違えば富士屋ホテルは今のままで残っておらず、富士屋ホテル向かいにあった奈良屋旅館の様に近代化された施設に変貌を遂げていたのかもしれません。
本館の横に建つ西洋館
1906年(明治39年)竣工【登録有形文化財/近代化産業遺産】
富士屋ホテルの創業者「山口仙之助」の時代に竣工したコテージ風の双子の木造建築物。
向かって右側に建つ一号館にはカムフィロッジ、左側に建つ二号館にはレストフルコテージの名称が付けられています。
全ての窓が鎧戸付きの上げ下げ窓になっている典型的な西洋建築でありますが、玄関部分は唐破風造りで社寺建築の様にも見えるし、よくよく考えたら非常に不思議な造り。
上の写真は一号館カムフィロッジ。こちらは二号館レストフルコテージ。
レストフルコテージ側は改修工事のため、半分バリケードに覆われてしまっていてちょっと残念。
続きは↓からどうぞ
一号館カムフィロッジの玄関部分
うーん、やっぱり玄関部分だけ見ると社寺建築っぽい。
窓は火灯窓ですし、腰板部分には獅子が彫られています。
因みにこちらの玄関からの出入りは出来ない様になっており、西洋館宿泊者は本館から西洋館へ続く廊下を通って部屋へ向かう事になります。
二号館レストフルコテージの玄関部分
一号館と同じく簡易的な木鼻(拳鼻)デザインが施されています。
一号館の腰板とは違うデザインの獅子が彫られているのですが、バリケードが…邪魔(;´Д`)
玄関からは中に入れないので、一度本館に戻って内側からも見学。
館内を1つに繋げている連絡通路にもいろいろと興味深いものが沢山あります。
(↑の写真は西洋館側から本館側を撮影しています)
本館の階段横にある古い配電盤
こんな形のブレーカーは昔のアニメでしか見た事無い…(;´∀`)
温水ヒーター
温泉地ならではの温水を使用したヒーター。
館内のあちこちでこのヒーターを見掛けます。今でも稼働しているのかどうかは判りません。
→現在も冬は温水ヒーターとして稼働している模様
レストフルコテージ側の階段
本館とほぼ同じスタイルの階段ですが、飾り彫刻などの意匠はやや簡素化されています。
レストフル側は階段両側はどちらも3室ずつ客室が配置なんですが、カムフィロッジ側は1階の1室が空室扱いになっています(元87号室。現在はカメリアという名で結婚式時の控え室で使用している様です)
2階部分も見学したかったのですが、木造で歩くだけで結構足下がギシギシ言うので見学断念(西洋館宿泊者の方がいますからね)
中から見た玄関部分(こちらはカムフィロッジ側)
両脇には客室の入口があります。
西洋館は二階建てなので、一、二号館併せても部屋数は24室しかありません。
本館は西洋館が竣工された際に1階の客室を全て潰してラウンジ(マジックルーム)にしてしまったので、今は2階部分だけが客室で11室のみです。
廊下には古いパンフレットも飾られていました。
当時の宿泊料金が書いてありました。
一泊朝夕食付き(和式)で1人一泊9円より。三食付き(米式)の部屋で1人12円~17円。専属浴室付き(米式)で1人18円~22円。特別室(米式)で1人25円。
表紙部分を拡大
写真部分を見てみると昭和5年(1930年)に竣工した食堂棟は載っていますが、昭和11年(1936年)竣工の花御殿は写っていません。
本館前には「バチェラーズクォーター」と呼ばれていたアイリー(昭和10年に現在地に移築)らしき建物が見えるので昭和5年~10年位までのパンフレットでしょうか。
昭和10年頃の物価を調べてみると大学卒の初任給で90円、小学校教師初任給で40~55円。米10kg2円39銭、ビフテキ1円。山小屋での宿泊2円などだったようなので、それを考えると富士屋ホテルの宿泊料金はやはり破格の料金設定だったようです。
「人魚の湯」と案内がある浴室は今でも貸し切り浴室の「マーメイドバス」として残っていますが、「夢の湯(ドリームプール)」は宴会場「フェニックスルーム」に変更されています。
「テイローンヂ」は今のティーラウンジ「オーキッド」ですね。テイローンヂ=ティーラウンジか(;´∀`)
宴会場「カスケードルーム」に続く付近に「ナインテンスホール」なるパーティルームもあったようです(今は案内表示板だけが残っています)
ところで西洋館には大正9年に竣工された三号館もあったようなのですが、富士屋ホテルのホテルヒストリーを見ても冒頭で書いた文庫本にもその後の三号館の事は記載されていません。
三号館は一体何処にあったんだろう? 今は壊されてしまったのか、移築されたのか、と謎に思っていたら、ひょんなところから三号館の存在が発覚しました。
それによると西洋館に不自然に1室だけ飛び出た位置にある2階の部屋115号室(※クリックで拡大します)
ここが唯一残っている三号館の客室だそうです。三号館は一、二号館の真後ろに建てられていたのですね。よくよく見るとパンフレットの古い写真にも一号館と二号館の屋根の間にもう1つ屋根があるようにも見えます。
三号館がいつ頃一室だけ残して壊されてしまったのかは判りませんが、西洋館の上側にはかつてフォレストロッジと呼ばれる建物(明治20年に竣工した旧日本館を移築したもの)があり、昭和35年(1960年)にこれを取り壊して現在のフォレスト館が出来たので、その辺りまでは存在していたのではないかと思っています。
日々すり減っていく脳細胞の代わりに記録しておく備忘録的なお出掛けetc日記
【注】コメント欄にURLは記載しないで下さい。 スパム防止のため、URLを記載するとコメント記事が消える様になっています。
コメント 0