デロリ系だけではなかった【岡本神草の時代展@千葉市美術館】 [美術館]
今日も朝から猛暑です…(;´Д`)
暑さ対策として板藍根(バンランコン)エキスを飲み始めました。
中国などでは葛根湯よりもポピュラーな風邪薬&インフル予防薬だったりするそうです。
特筆すべきは抗菌&抗ウィルスだけではなく、清熱解毒作用や免疫機能を高める働きもあるため、夏バテにも有益な漢方薬であるということ。
昨日ゆっくり休んだこともあって、今日はだいぶ熱疲労が抜けて通常モードに戻れた感じですが、夏の間は当分板藍根エキスのお世話になろうかと思っています。
千葉市美術館で開催されていた「岡本神草の時代展」を見に先週末(7/7)に駆け込みで出掛けて来た時のうろちょろ話をば。
千葉市美術館。ここは何気に交通の便がイマイチなのが難点です…
JR千葉駅からでも歩けない距離ではないのですが、当日は結構暑かったので千葉都市モノレールに乗り換えて、葭川公園駅から歩いて行きました(でも最寄り駅からでもそこそこ歩くんですよね 暑くなければ歩くのはキライではないんですけれど…)
ようやく千葉市美術館へ到着。
岡本神草(おかもと しんそう)の代表作「口紅」がデザインされた大型ポスターが眼を惹きます。
そしてどうも千葉駅から30分置きに循環バスが出ていた模様(;´Д`) いや、モノレール楽しかったから良いんですが。
しかし「岡本神草」展を謳っているのに他の作家作品の大型ポスターを貼っているのはどうなのか…。
↑神草ではなく、甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)の作品「横櫛」
取り敢えず中へ入ります。
続きは ↓ から
7階と8階部分が千葉市美術館になります。
チケット売り場と入口は8階になるので、美術館専用エレベーターで8階へ。
最初は初期の頃の作品かと思いきや、いきなり代表作「口紅」を繰り出してきました。
完成作品の少ない岡本神草の代表作的作品かつ出世作的な作品ですね。
この作品を初めて見たのは山種美術館での特別展「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」だったのですが、初見時はやはりかなりギョッとしてしまいました。
明治27(1894)年、神戸に生まれた岡本神草は大正4(1915)年に京都市立美術工芸学校絵画科を卒業後、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に入学します。
大正7(1918)年卒業制作として描かれたのがこの「口紅」
卒業制作時にはまだ未完成状態だったのですが更に手を入れて完成した「口紅」は第1回国画創作協会展(国展)に見事入選。更に土田麦僊が樗牛賞に強く推します。
しかし同時期に活躍していた甲斐庄 楠音の「横櫛」を村上華岳が強く推したため「口紅」と「横櫛」どちらを樗牛賞に入賞させるかで平行線状態になってしまいます。
そこへ竹内栖鳳が仲裁する形で金田和郎の「水蜜桃」を推した為、結果的には「水蜜桃」が入賞することに。
「口紅」も「横櫛」も入賞は逃してしまいますが、岡本神草は甲斐庄 楠音と共に「デロリ」とも言われる何とも生々しい妖艶美な女性を描く画家として一気に世間に知られる存在になりました。
(余談ですが「デロリ」という表現は岸田劉生が甲斐庄 楠音の作品に対して形容した言葉だそうです。岸田劉生の麗子像シリーズも相当デロリなんじゃないかと思うのですが(;´∀`))
ところで甲斐庄 楠音の「横櫛」ですが実は2枚存在しており、今回展示されていたのは国展に出品する前に描いていた「横櫛」<京都国立近代美術館蔵>です。
甲斐庄は国展に出品するにあたり、新たな「横櫛」を描いていました(2つ↑に載せた『横櫛』が国展出品作品。背景の屏風には『切られお富』が描かれています)
国展出展後に後援者の1人が購入したのですが程なくして亡くなってしまい、その後入手した人が「背景の屏風に描かれた『切られお富』を消して欲しい」と甲斐庄に直接依頼してきます。
甲斐庄も切られお富は不要と判断し、手直しするつもりで預かっていたのですが、その内依頼者の消息も不明となってしまい国展版「横櫛」はそのまま暫くお蔵入りに。
その後、昭和38(1963)年に国展回顧展が開催される事になり、甲斐庄の国展版「横櫛」にも出品依頼が来るのですが、久しぶりに取り出した「横櫛」は染みが出来たり絵の具が剥落したりして酷い状態になっていました。
甲斐庄はかつて同時に樗牛賞を争った岡本神草の「口紅」と出来映えを比べられることを懸念し、慌てて手直しをするのですが、当時の甲斐庄は画壇の世界を飛び出し映画の世界に移っていたためか、かつてのデロリとした女性の妖艶美を思う様に描く事が出来ず嘆いたということです。
手直しされた「横櫛」<広島県立美術館蔵>
背景の「切られお富」部分が短冊に描き直されています。
今回展示の「横櫛」は広島県立美術館が所有する「横櫛」よりも手直しされる前の国展版「横櫛」に近いイメージであろうとして出品されていましたが、並べてみると手直し前の国展版「横櫛」とも全く違う様に思います。今回出品されていた「横櫛」が一番デロリ感ありますよね。
デロリと言えば、やはり同時期に活躍していた稲垣仲静の「太夫」はよりデロリ感が増します。
大正中期~末期辺りにかけて、京都画壇ではどうもこのデロリとした画風が流行っていた様です。
脱線したので岡本神草作品に戻りますが、神草も最初からデロリ作品を描いていた訳ではなく、初期の頃は竹久夢二に憧れて抒情絵の様なスケッチを残しています。
未完成の「花見小路の春宵」の草稿も何処か可愛らしい感じの舞妓が描かれており、妖艶美とはほど遠い出来映えです。
どうしてこうも画風が変わってしまったのかは定かではないのですが、当時神草は女学生Tに淡い恋心を抱いており、夢二風の抒情絵を描いていたのも女学生Tに見せてもらった夢二画集に影響を受けたから、のようです。
しかし若さ故なのか女学生Tとは清い交際のままで終わっており、舞妓や芸子をスケッチするために遊里に足繁く通う内、意中ではない別の女性Hと関係を持ってしまった神草。
どうもその辺りから徐々に画風が変わって来ている様にも思えます(;´Д`)…男って奴ァ
甲斐庄の「横櫛」は2枚存在していましたが、その後の国展に出品された神草の「拳を打てる三人の舞妓」という作品は3枚存在していました(現在完成品は行方不明)
「口紅」で樗牛賞が取ることが出来なかった神草はよほど次回作に力を入れていたのか同構図の「拳を打てる三人の舞妓」を3回も描き直しました
第2回国展に出品予定だった「拳を打てる三人の舞妓」(未成版) 大正8(1919)年
この時は執筆中に母親が訪ねて来たため完成させる事が出来ず、翌年大正9(1920)年に同構図で第3回国展入賞を目指して新たな「拳を打てる三人の舞妓」を描きます。
ところがまたまた締め切りに間に合わず、思案した神草はほぼ完成しかかっていた中央の舞妓部分だけを切り取り「拳を打てる三人の舞妓の習作」として出品します(結果は選外佳作)
そしてまた翌年、今度は第3回帝展(国展4回目は休止のため)を目指し、3枚目の「拳を打てる三人の舞妓」を作成。
今度こそは三度目の正直で完成させ入選を果たしたのですが、その後この作品は行方不明になってしまい、カラー図版で残るだけになっています。
今回の特別展では「拳を打てる三人の舞妓」の草稿、未成版、習作版が展示されていましたが、これに完成版を加えて並べてみたかったですね。
因みに2枚目の「拳を打てる三人の舞妓の習作」の切り取られた残りは神草の2番目の妻、若松緑の妹宅に大切に保管されており、1987年に再発見されてようやく切り取られる前の状態に戻ったんだとか。
岡本神草はどうも作品の出来映えに拘りすぎるせいなのか、スケッチや草稿、習作作品はそれなりに多いのですが(また本人は39歳と言う若さで脳溢血で早世してしまったため)完成作品は非常に少ない画家と言われています。
2番目の妻の緑も病弱で、神草が亡くなった半年後に結核で亡くなってしまうのですが、緑の実家が神草の作品を大切に保管してくれていたため、今回の特別展開催に漕ぎ着ける事が出来たということでした。
ところで今回の特別展は図録は買わないつもりだったのですが…やはり買ってしまいました(;´∀`)
デロリの妖艶美よりも友人宅で飼われていた狆のスケッチの可愛さにすっかりやられてしまいました(;´∀`)
いや、正確にはただ狆のスケッチだけなら図録は買っていなかったのかもしれません。
狆の名前「お貞子(おでこ)ちゃん」にすっかり射抜かれてしまいました(;´∀`)
「お貞子(おでこ)ちゃん」何てセンス良い可愛らしい名前…w
お貞子(おでこ)ちゃんグッズも思わず買っちゃいましたよ(;´∀`) 期間ギリでお貞子(おでこ)ちゃんポストカードとか売り切れていたみたいだったのだけが残念でしたけれど。
因みに美術展見た後は東京ビッグサイトまで脚を伸ばして「ハンドメイドインジャパンフェス2018」に行ったのですが、エアコンの効きが悪くて暑いしバテるし、欲しい物もそんなに無かったし、でこんな事ならもう少しゆっくり美術展だけ見ておけばよかった、と思った次第…(;´Д`)
暑さ対策として板藍根(バンランコン)エキスを飲み始めました。
中国などでは葛根湯よりもポピュラーな風邪薬&インフル予防薬だったりするそうです。
特筆すべきは抗菌&抗ウィルスだけではなく、清熱解毒作用や免疫機能を高める働きもあるため、夏バテにも有益な漢方薬であるということ。
昨日ゆっくり休んだこともあって、今日はだいぶ熱疲労が抜けて通常モードに戻れた感じですが、夏の間は当分板藍根エキスのお世話になろうかと思っています。
千葉市美術館で開催されていた「岡本神草の時代展」を見に先週末(7/7)に駆け込みで出掛けて来た時のうろちょろ話をば。
千葉市美術館。ここは何気に交通の便がイマイチなのが難点です…
JR千葉駅からでも歩けない距離ではないのですが、当日は結構暑かったので千葉都市モノレールに乗り換えて、葭川公園駅から歩いて行きました(でも最寄り駅からでもそこそこ歩くんですよね 暑くなければ歩くのはキライではないんですけれど…)
ようやく千葉市美術館へ到着。
岡本神草(おかもと しんそう)の代表作「口紅」がデザインされた大型ポスターが眼を惹きます。
そしてどうも千葉駅から30分置きに循環バスが出ていた模様(;´Д`) いや、モノレール楽しかったから良いんですが。
しかし「岡本神草」展を謳っているのに他の作家作品の大型ポスターを貼っているのはどうなのか…。
↑神草ではなく、甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)の作品「横櫛」
取り敢えず中へ入ります。
続きは ↓ から
7階と8階部分が千葉市美術館になります。
チケット売り場と入口は8階になるので、美術館専用エレベーターで8階へ。
最初は初期の頃の作品かと思いきや、いきなり代表作「口紅」を繰り出してきました。
完成作品の少ない岡本神草の代表作的作品かつ出世作的な作品ですね。
この作品を初めて見たのは山種美術館での特別展「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」だったのですが、初見時はやはりかなりギョッとしてしまいました。
明治27(1894)年、神戸に生まれた岡本神草は大正4(1915)年に京都市立美術工芸学校絵画科を卒業後、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に入学します。
大正7(1918)年卒業制作として描かれたのがこの「口紅」
卒業制作時にはまだ未完成状態だったのですが更に手を入れて完成した「口紅」は第1回国画創作協会展(国展)に見事入選。更に土田麦僊が樗牛賞に強く推します。
しかし同時期に活躍していた甲斐庄 楠音の「横櫛」を村上華岳が強く推したため「口紅」と「横櫛」どちらを樗牛賞に入賞させるかで平行線状態になってしまいます。
そこへ竹内栖鳳が仲裁する形で金田和郎の「水蜜桃」を推した為、結果的には「水蜜桃」が入賞することに。
「口紅」も「横櫛」も入賞は逃してしまいますが、岡本神草は甲斐庄 楠音と共に「デロリ」とも言われる何とも生々しい妖艶美な女性を描く画家として一気に世間に知られる存在になりました。
(余談ですが「デロリ」という表現は岸田劉生が甲斐庄 楠音の作品に対して形容した言葉だそうです。岸田劉生の麗子像シリーズも相当デロリなんじゃないかと思うのですが(;´∀`))
ところで甲斐庄 楠音の「横櫛」ですが実は2枚存在しており、今回展示されていたのは国展に出品する前に描いていた「横櫛」<京都国立近代美術館蔵>です。
甲斐庄は国展に出品するにあたり、新たな「横櫛」を描いていました(2つ↑に載せた『横櫛』が国展出品作品。背景の屏風には『切られお富』が描かれています)
国展出展後に後援者の1人が購入したのですが程なくして亡くなってしまい、その後入手した人が「背景の屏風に描かれた『切られお富』を消して欲しい」と甲斐庄に直接依頼してきます。
甲斐庄も切られお富は不要と判断し、手直しするつもりで預かっていたのですが、その内依頼者の消息も不明となってしまい国展版「横櫛」はそのまま暫くお蔵入りに。
その後、昭和38(1963)年に国展回顧展が開催される事になり、甲斐庄の国展版「横櫛」にも出品依頼が来るのですが、久しぶりに取り出した「横櫛」は染みが出来たり絵の具が剥落したりして酷い状態になっていました。
甲斐庄はかつて同時に樗牛賞を争った岡本神草の「口紅」と出来映えを比べられることを懸念し、慌てて手直しをするのですが、当時の甲斐庄は画壇の世界を飛び出し映画の世界に移っていたためか、かつてのデロリとした女性の妖艶美を思う様に描く事が出来ず嘆いたということです。
手直しされた「横櫛」<広島県立美術館蔵>
背景の「切られお富」部分が短冊に描き直されています。
今回展示の「横櫛」は広島県立美術館が所有する「横櫛」よりも手直しされる前の国展版「横櫛」に近いイメージであろうとして出品されていましたが、並べてみると手直し前の国展版「横櫛」とも全く違う様に思います。今回出品されていた「横櫛」が一番デロリ感ありますよね。
デロリと言えば、やはり同時期に活躍していた稲垣仲静の「太夫」はよりデロリ感が増します。
大正中期~末期辺りにかけて、京都画壇ではどうもこのデロリとした画風が流行っていた様です。
脱線したので岡本神草作品に戻りますが、神草も最初からデロリ作品を描いていた訳ではなく、初期の頃は竹久夢二に憧れて抒情絵の様なスケッチを残しています。
未完成の「花見小路の春宵」の草稿も何処か可愛らしい感じの舞妓が描かれており、妖艶美とはほど遠い出来映えです。
どうしてこうも画風が変わってしまったのかは定かではないのですが、当時神草は女学生Tに淡い恋心を抱いており、夢二風の抒情絵を描いていたのも女学生Tに見せてもらった夢二画集に影響を受けたから、のようです。
しかし若さ故なのか女学生Tとは清い交際のままで終わっており、舞妓や芸子をスケッチするために遊里に足繁く通う内、意中ではない別の女性Hと関係を持ってしまった神草。
どうもその辺りから徐々に画風が変わって来ている様にも思えます(;´Д`)…男って奴ァ
甲斐庄の「横櫛」は2枚存在していましたが、その後の国展に出品された神草の「拳を打てる三人の舞妓」という作品は3枚存在していました(現在完成品は行方不明)
「口紅」で樗牛賞が取ることが出来なかった神草はよほど次回作に力を入れていたのか同構図の「拳を打てる三人の舞妓」を3回も描き直しました
第2回国展に出品予定だった「拳を打てる三人の舞妓」(未成版) 大正8(1919)年
この時は執筆中に母親が訪ねて来たため完成させる事が出来ず、翌年大正9(1920)年に同構図で第3回国展入賞を目指して新たな「拳を打てる三人の舞妓」を描きます。
ところがまたまた締め切りに間に合わず、思案した神草はほぼ完成しかかっていた中央の舞妓部分だけを切り取り「拳を打てる三人の舞妓の習作」として出品します(結果は選外佳作)
そしてまた翌年、今度は第3回帝展(国展4回目は休止のため)を目指し、3枚目の「拳を打てる三人の舞妓」を作成。
今度こそは三度目の正直で完成させ入選を果たしたのですが、その後この作品は行方不明になってしまい、カラー図版で残るだけになっています。
今回の特別展では「拳を打てる三人の舞妓」の草稿、未成版、習作版が展示されていましたが、これに完成版を加えて並べてみたかったですね。
因みに2枚目の「拳を打てる三人の舞妓の習作」の切り取られた残りは神草の2番目の妻、若松緑の妹宅に大切に保管されており、1987年に再発見されてようやく切り取られる前の状態に戻ったんだとか。
岡本神草はどうも作品の出来映えに拘りすぎるせいなのか、スケッチや草稿、習作作品はそれなりに多いのですが(また本人は39歳と言う若さで脳溢血で早世してしまったため)完成作品は非常に少ない画家と言われています。
2番目の妻の緑も病弱で、神草が亡くなった半年後に結核で亡くなってしまうのですが、緑の実家が神草の作品を大切に保管してくれていたため、今回の特別展開催に漕ぎ着ける事が出来たということでした。
ところで今回の特別展は図録は買わないつもりだったのですが…やはり買ってしまいました(;´∀`)
デロリの妖艶美よりも友人宅で飼われていた狆のスケッチの可愛さにすっかりやられてしまいました(;´∀`)
いや、正確にはただ狆のスケッチだけなら図録は買っていなかったのかもしれません。
狆の名前「お貞子(おでこ)ちゃん」にすっかり射抜かれてしまいました(;´∀`)
「お貞子(おでこ)ちゃん」何てセンス良い可愛らしい名前…w
お貞子(おでこ)ちゃんグッズも思わず買っちゃいましたよ(;´∀`) 期間ギリでお貞子(おでこ)ちゃんポストカードとか売り切れていたみたいだったのだけが残念でしたけれど。
因みに美術展見た後は東京ビッグサイトまで脚を伸ばして「ハンドメイドインジャパンフェス2018」に行ったのですが、エアコンの効きが悪くて暑いしバテるし、欲しい物もそんなに無かったし、でこんな事ならもう少しゆっくり美術展だけ見ておけばよかった、と思った次第…(;´Д`)
日々すり減っていく脳細胞の代わりに記録しておく備忘録的なお出掛けetc日記
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犬好きって奴ァ(ノ_-;)ハア…
図録、欲しいなぁ(-ω-、)
by middrinn (2018-07-26 18:57)
図録、千葉市美術館のサイトから通信販売出来ましてよ( *´ー`)y─┛~oΟ
by そらそら (2018-07-26 21:05)