明治から平成にかけての叡智が満載!【日本を変えた千の技術博】その1 [美術館]
11月もそろそろ半ばだと言うのに、今日は少し歩くと汗ばむ様な陽気(;´∀`)
来週末は京都に紅葉を見に行く予定なのですが、この気候では見頃にはまだ早いかも知れません
そろそろ何処の紅葉を見に行くか決めておかねば…。八瀬の瑠璃光院は見に行くこと決定なんですけれどね。
さて、先週末(11/3)はルーベンス展を見に行くつもりだったのですが、館外にまで入場者の列が並んでいるのを見て、急遽国立科学博物館で開催されている「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」に予定変更。
「特別展 昆虫」の時は夏休み期間&子供向けのテーマ展示とあって金曜夜でもそれなりに混雑していましたが、今回は近代技術に焦点を当てた特別展ということで土曜日でもそれほど混んでいません。
(常設展は文化の日で入館料無料となっていたので、いつも以上に混雑していた様です。…あ、もしかしたら国立西洋美術館も常設展無料Dayだったから余計混んでいたのかも)
写真がとにかく多めなので続きは ↓ から
いつもの金曜夜とは違って時間的にたっぷり余裕があるので、今回は音声ガイドを借りてみました。
かはくの特別展音声ガイドはなかなかコアな内容で面白いのですが、とにかく1トラック分が長い…(;´∀`)
混雑状態や時間の余裕のある時でないと聞き終わるまで列の流れを止めてしまうかもしれないのが欠点ですね。
まずは江戸時代から明治時代になり、近代化の波が急激に押し寄せた日本で科学や技術がどの様に変わったか、の展示から。
島津製作所製の人体模型標本(制作年不明)
医学も西洋医学に追いつき追い越せ、で急速に近代化が進みます。
建築物も木造から煉瓦建築へ。
会場内にはかつて浅草に建っていた通称「十二階」こと「凌雲閣」(明治23年(1890)完成)の双六の垂れ幕が。
元の双六絵はこんな感じ。三代目「歌川国貞」によるものです。
この凌雲閣、日本で初めての電動式エレベーターを備え、当時は東洋一とも謳われたであろう展望塔で、もしタイムスリップ出来るのであれば個人的に行ってみたい場所の上位に入る建築物だったりします。
関東大震災で半壊してしまい、修繕する費用も捻出できなかったことから残った部分も取り壊されてしまったのですが、今年の2月、その凌雲閣の遺構が地下から出て来たとして話題になっていたそうです。
遺構が出て来たのが急なことだったのと、遺構の状態が良くなかったせいもあり、残念ながらそのまま解体されてしまったそうなのですが、その際見つかった煉瓦を配っていたと…。
…あぁぁ、何で凌雲閣発見ニュースに気付かなかったの、私ヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ 凌雲閣の遺構煉瓦、欲しかったわぁ…
…話が逸れました技術博の展示品ネタに戻ります。
佐藤進 著「外科各論」全18巻 明治13~19年(1880~1886年)
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
佐藤氏がウィーン大学で師事した外科学教授ビオロート氏著「外科病理治療総論(1874年刊)」を参考に、自分が経験した所見などを追加したもの。
明治期の電気治療器
一体何を治療したのでしょうか。展示説明には詳細書かれていませんでした(図録には写真すら載っておらず(>_<))
平野富二の活版印刷機<機械遺産> 明治18年(1885)頃
組活字板の上にインクを載せて
紙を置いて上蓋をしてからレバーを引いてプレスすると
こんな感じに活版印刷物が出来る訳ですね。
活版印刷を見ると、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でジョバンニ少年が活版を拾うアルバイトをしているシーンが思い浮かんでしまいます(*´ω`*)
明治20~30年代頃に作られた国内製のダルマ型自転車
今の自転車の様なチェーンベルトはなく、前輪のペダルで直接駆動する造りのため、こんな大きな前輪にする必要が
明治30年頃から今のような構造の安全自転車が普及しはじめ、ダルマ型自転車は徐々に消滅していったそうです。
左手座繰り 綾振り付き
生糸を繰る速度を上げるための歯車を「座」と言うんだそうです。だから「座繰り」
大正~昭和20年代頃まで実際に使われていたものだそうで。
この座繰りを見ていた親子連れのお母さん、小さい子供に使い方を説明していました。
「昔はこれで糸を取っていたのよ。熱いお湯に蚕っていう虫を入れると熱くてびゅっと糸を吐き出すから、その糸を取ったの」
…お母さん、それ違う(;´Д`)
ガラ紡
「ガラ紡」とはガラガラと音をさせながら糸を紡いでいく様子から付けられた通称で、正式には発明者「臥雲辰致(がうんたっち)」氏の名前を取り「臥雲(がうん)式紡績機」というようで。
このガラ紡は昭和初期に作られた物ですが、モーター部分だけやたら新しいなと思ったら、普段は所蔵先の東京農工大学科学博物館で動態展示されているようです。
会場ではガラ紡が糸を紡ぐ様子の動画が放映されていましたが、動画は撮影禁止なのでYouTubeからガラ紡が糸を紡ぐ様子をば。
こういう機械の動きはずっと見ていても飽きることがありませんね(*´ω`*)
独特の風合いで紡がれたガラ紡製の糸は人気が高く、現在でも数少ないながらガラ紡を使用した紡績が行われているのだそうです。
旭焼 釉下彩雀図皿<化学遺産> 明治18年(1885)
お皿が何故「化学」遺産…??
と謎に思っていましたが、この皿、京都で工業化学製品の製造指導や研究を行っていたゴッドフリート・ワグネル氏のワグネル試験所で製造された皿なのだそうです。
日本で三番目に設置されたオーチス社製の乗用エレベーターの展示も
エレベーターボーイのマネキン君は公式サイトにもちょいちょい登場しています。
このオーチス社製エレベーターは明治29年(1896)に大阪市にある日本生命保険本店に設置されたものでしたが、昭和初期頃に国内製エレベーターと交換。
同社の木幡町倉庫に移設されてそこで約30年間使用されていましたが、昭和37年(1962)に当時のエレベーター関連法規に合わなくなり、とうとう撤去されてしまいます。
昭和41年(1966)に巻き上げ機などと共に国立科学博物館に寄贈され、昭和60年(1985)まで理工館(のちのたんけん館)に展示されていました。
当時、私はこのエレベーター展示を見た事がある筈なのですが、その存在をすっかり忘れていました。
この説明パネル写真を見て「あ…、そう言えばそんな展示物あったかも(;´Д`)」とぼんやり思い出して来た次第。
壁に埋め込まれている状態で展示されていたので、以前理工館で使用していた古いエレベーターをそのまま見せているのかな?程度に思っていたので、あんまり覚えていなかったのかもしれません。
理工館はその後「たんけん館」にリニューアル。その際、このエレベーターとマネキン君はそのまま閉鎖状態で残されてしまい、平成6年(1994)たんけん館が解体される時に再発見されるまでひっそり眠っていた、ということでした
再発見後は部品状態で新宿分館に収蔵されていたので、今回の特別展では実に33年ぶりのお目見えとなる訳です。
当時をよく覚えている方にはとても懐かしい展示物なのではないでしょうか(まぁ私は忘れちゃっていた訳なのですが(;´∀`))
昭和6年(1931)、東京科学博物館(国立科学博物館の旧称)の開館を記念し、宮内省から下賜されたエジソンクラスM蓄音機
明治23年(1890)にエジソンがアメリカ公使を通じて明治天皇に献上した蝋管式蓄音機だそうで。
こちらは昭和8年(1933)に宮内省から下賜された電気扇
当時は本館(現:日本館)の3階に記念室があり、宮内省から下賜されたこれらの品々が展示されていました。
鹽化(えんか)アドリナリンのパッケージと薬瓶<共に化学遺産>
消化薬「タカヂアスターゼ」を開発した高峰譲吉氏が高純度で結晶化させることに成功した塩化アドレナリン
現在存在する医薬品は数多くあれど、1世紀以上に渡って現代も使用されている医薬品はアドレナリンとアスピリン、タカジアスターゼの3種類しかなく、その内2種類までが日本人である高峰譲吉氏の開発によるものです。
近代社会になってからの日本人の技術飛躍は素晴らしいものがありますね。
明治、大正期の配線器具類
収集先、かつて箱根の富士屋ホテルの向かいに建っていた奈良屋旅館です。
明治期、と記載されていますが、文化財遺産オンラインを見ると奈良屋旅館が建てられたのは大正7年(1918)なので、ほぼ大正期の配線器具なんでしょうね。
「保存扱S50-5-6」と記載されているのですが、昭和50年(1975)頃に大きく改装でもしたのでしょうか。
富士屋ホテルは今でも健在ですが、奈良屋旅館は平成13年(2001)5月に閉館し、跡地は会員制のリゾート施設「エクシブ箱根離宮」になっています。
撹拌式電気洗濯機 ソーラーA型<機械遺産> 昭和5年(1930)
芝浦製作所(現:東芝)製、国産第一号の電気洗濯機です。当時の価格で370円だったとか。
「日本円貨幣価値計算機」サイトで昭和5年の370円を現在の金額に換算するとざっと65~75万円ほど…Σ(・ω・/)/
当時の一般家庭では到底手が出せない高級電化製品だったのでしょうね。
電気掃除機 VC-C型 昭和22年(1947)
これも東京芝浦電気(現:東芝)製の白物家電。
戦前の電気洗濯機にもビックリしたのですが、終戦後2年目に販売された電気掃除機にもビックリΣ(・ω・/)/
当時はまだ食料事情ですら十分ではなかったと思うのですが、そんな時代にこの掃除機を使っていたのは一体どんな豪邸だったのやら
畳に電気掃除機というのがなかなか浸透しなかったため、一般家庭に電気掃除機が普及するのは戦後しばらく先の話になります。
電気冷蔵庫 SS-1200型<機械遺産> 昭和5年(1930)
芝浦製作所(現:東芝)製、国産第一号の電気冷蔵庫。容量は125リットルです。
何だか東芝製だらけですが、当時松下とかは電化製品作っていなかったのでしょうか。
こちらは当時の金額で720円(現在の金額で約127~146万円)。当時は720円もあれば庭付きの小さな一戸建が建てられるほどだったそう。
上部に付いている円筒状の謎装置はシリンダー圧縮&凝縮&制御装置だそうです。
右横には昭和30年(1955)に発売された国産1号の自動式電気釜がちらりと写っていますが、もちろんこれも東京芝浦電気(現:東芝)製。
今の東芝は隣大国製の安い家電に圧されてやや斜陽がかっていますが、まだまだ頑張れ、国内企業(ノ`Д´)ノ
写真多いので、その2に続く(;´Д`)
来週末は京都に紅葉を見に行く予定なのですが、この気候では見頃にはまだ早いかも知れません
そろそろ何処の紅葉を見に行くか決めておかねば…。八瀬の瑠璃光院は見に行くこと決定なんですけれどね。
さて、先週末(11/3)はルーベンス展を見に行くつもりだったのですが、館外にまで入場者の列が並んでいるのを見て、急遽国立科学博物館で開催されている「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」に予定変更。
「特別展 昆虫」の時は夏休み期間&子供向けのテーマ展示とあって金曜夜でもそれなりに混雑していましたが、今回は近代技術に焦点を当てた特別展ということで土曜日でもそれほど混んでいません。
(常設展は文化の日で入館料無料となっていたので、いつも以上に混雑していた様です。…あ、もしかしたら国立西洋美術館も常設展無料Dayだったから余計混んでいたのかも)
写真がとにかく多めなので続きは ↓ から
いつもの金曜夜とは違って時間的にたっぷり余裕があるので、今回は音声ガイドを借りてみました。
かはくの特別展音声ガイドはなかなかコアな内容で面白いのですが、とにかく1トラック分が長い…(;´∀`)
混雑状態や時間の余裕のある時でないと聞き終わるまで列の流れを止めてしまうかもしれないのが欠点ですね。
まずは江戸時代から明治時代になり、近代化の波が急激に押し寄せた日本で科学や技術がどの様に変わったか、の展示から。
島津製作所製の人体模型標本(制作年不明)
医学も西洋医学に追いつき追い越せ、で急速に近代化が進みます。
建築物も木造から煉瓦建築へ。
会場内にはかつて浅草に建っていた通称「十二階」こと「凌雲閣」(明治23年(1890)完成)の双六の垂れ幕が。
元の双六絵はこんな感じ。三代目「歌川国貞」によるものです。
この凌雲閣、日本で初めての電動式エレベーターを備え、当時は東洋一とも謳われたであろう展望塔で、もしタイムスリップ出来るのであれば個人的に行ってみたい場所の上位に入る建築物だったりします。
関東大震災で半壊してしまい、修繕する費用も捻出できなかったことから残った部分も取り壊されてしまったのですが、今年の2月、その凌雲閣の遺構が地下から出て来たとして話題になっていたそうです。
遺構が出て来たのが急なことだったのと、遺構の状態が良くなかったせいもあり、残念ながらそのまま解体されてしまったそうなのですが、その際見つかった煉瓦を配っていたと…。
…あぁぁ、何で凌雲閣発見ニュースに気付かなかったの、私ヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ 凌雲閣の遺構煉瓦、欲しかったわぁ…
…話が逸れました技術博の展示品ネタに戻ります。
佐藤進 著「外科各論」全18巻 明治13~19年(1880~1886年)
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
佐藤氏がウィーン大学で師事した外科学教授ビオロート氏著「外科病理治療総論(1874年刊)」を参考に、自分が経験した所見などを追加したもの。
明治期の電気治療器
一体何を治療したのでしょうか。展示説明には詳細書かれていませんでした(図録には写真すら載っておらず(>_<))
平野富二の活版印刷機<機械遺産> 明治18年(1885)頃
組活字板の上にインクを載せて
紙を置いて上蓋をしてからレバーを引いてプレスすると
こんな感じに活版印刷物が出来る訳ですね。
活版印刷を見ると、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でジョバンニ少年が活版を拾うアルバイトをしているシーンが思い浮かんでしまいます(*´ω`*)
明治20~30年代頃に作られた国内製のダルマ型自転車
今の自転車の様なチェーンベルトはなく、前輪のペダルで直接駆動する造りのため、こんな大きな前輪にする必要が
明治30年頃から今のような構造の安全自転車が普及しはじめ、ダルマ型自転車は徐々に消滅していったそうです。
左手座繰り 綾振り付き
生糸を繰る速度を上げるための歯車を「座」と言うんだそうです。だから「座繰り」
大正~昭和20年代頃まで実際に使われていたものだそうで。
この座繰りを見ていた親子連れのお母さん、小さい子供に使い方を説明していました。
「昔はこれで糸を取っていたのよ。熱いお湯に蚕っていう虫を入れると熱くてびゅっと糸を吐き出すから、その糸を取ったの」
…お母さん、それ違う(;´Д`)
ガラ紡
「ガラ紡」とはガラガラと音をさせながら糸を紡いでいく様子から付けられた通称で、正式には発明者「臥雲辰致(がうんたっち)」氏の名前を取り「臥雲(がうん)式紡績機」というようで。
このガラ紡は昭和初期に作られた物ですが、モーター部分だけやたら新しいなと思ったら、普段は所蔵先の東京農工大学科学博物館で動態展示されているようです。
会場ではガラ紡が糸を紡ぐ様子の動画が放映されていましたが、動画は撮影禁止なのでYouTubeからガラ紡が糸を紡ぐ様子をば。
こういう機械の動きはずっと見ていても飽きることがありませんね(*´ω`*)
独特の風合いで紡がれたガラ紡製の糸は人気が高く、現在でも数少ないながらガラ紡を使用した紡績が行われているのだそうです。
旭焼 釉下彩雀図皿<化学遺産> 明治18年(1885)
お皿が何故「化学」遺産…??
と謎に思っていましたが、この皿、京都で工業化学製品の製造指導や研究を行っていたゴッドフリート・ワグネル氏のワグネル試験所で製造された皿なのだそうです。
日本で三番目に設置されたオーチス社製の乗用エレベーターの展示も
エレベーターボーイのマネキン君は公式サイトにもちょいちょい登場しています。
このオーチス社製エレベーターは明治29年(1896)に大阪市にある日本生命保険本店に設置されたものでしたが、昭和初期頃に国内製エレベーターと交換。
同社の木幡町倉庫に移設されてそこで約30年間使用されていましたが、昭和37年(1962)に当時のエレベーター関連法規に合わなくなり、とうとう撤去されてしまいます。
昭和41年(1966)に巻き上げ機などと共に国立科学博物館に寄贈され、昭和60年(1985)まで理工館(のちのたんけん館)に展示されていました。
当時、私はこのエレベーター展示を見た事がある筈なのですが、その存在をすっかり忘れていました。
この説明パネル写真を見て「あ…、そう言えばそんな展示物あったかも(;´Д`)」とぼんやり思い出して来た次第。
壁に埋め込まれている状態で展示されていたので、以前理工館で使用していた古いエレベーターをそのまま見せているのかな?程度に思っていたので、あんまり覚えていなかったのかもしれません。
理工館はその後「たんけん館」にリニューアル。その際、このエレベーターとマネキン君はそのまま閉鎖状態で残されてしまい、平成6年(1994)たんけん館が解体される時に再発見されるまでひっそり眠っていた、ということでした
再発見後は部品状態で新宿分館に収蔵されていたので、今回の特別展では実に33年ぶりのお目見えとなる訳です。
当時をよく覚えている方にはとても懐かしい展示物なのではないでしょうか(まぁ私は忘れちゃっていた訳なのですが(;´∀`))
昭和6年(1931)、東京科学博物館(国立科学博物館の旧称)の開館を記念し、宮内省から下賜されたエジソンクラスM蓄音機
明治23年(1890)にエジソンがアメリカ公使を通じて明治天皇に献上した蝋管式蓄音機だそうで。
こちらは昭和8年(1933)に宮内省から下賜された電気扇
当時は本館(現:日本館)の3階に記念室があり、宮内省から下賜されたこれらの品々が展示されていました。
鹽化(えんか)アドリナリンのパッケージと薬瓶<共に化学遺産>
消化薬「タカヂアスターゼ」を開発した高峰譲吉氏が高純度で結晶化させることに成功した塩化アドレナリン
現在存在する医薬品は数多くあれど、1世紀以上に渡って現代も使用されている医薬品はアドレナリンとアスピリン、タカジアスターゼの3種類しかなく、その内2種類までが日本人である高峰譲吉氏の開発によるものです。
近代社会になってからの日本人の技術飛躍は素晴らしいものがありますね。
明治、大正期の配線器具類
収集先、かつて箱根の富士屋ホテルの向かいに建っていた奈良屋旅館です。
明治期、と記載されていますが、文化財遺産オンラインを見ると奈良屋旅館が建てられたのは大正7年(1918)なので、ほぼ大正期の配線器具なんでしょうね。
「保存扱S50-5-6」と記載されているのですが、昭和50年(1975)頃に大きく改装でもしたのでしょうか。
富士屋ホテルは今でも健在ですが、奈良屋旅館は平成13年(2001)5月に閉館し、跡地は会員制のリゾート施設「エクシブ箱根離宮」になっています。
撹拌式電気洗濯機 ソーラーA型<機械遺産> 昭和5年(1930)
芝浦製作所(現:東芝)製、国産第一号の電気洗濯機です。当時の価格で370円だったとか。
「日本円貨幣価値計算機」サイトで昭和5年の370円を現在の金額に換算するとざっと65~75万円ほど…Σ(・ω・/)/
当時の一般家庭では到底手が出せない高級電化製品だったのでしょうね。
電気掃除機 VC-C型 昭和22年(1947)
これも東京芝浦電気(現:東芝)製の白物家電。
戦前の電気洗濯機にもビックリしたのですが、終戦後2年目に販売された電気掃除機にもビックリΣ(・ω・/)/
当時はまだ食料事情ですら十分ではなかったと思うのですが、そんな時代にこの掃除機を使っていたのは一体どんな豪邸だったのやら
畳に電気掃除機というのがなかなか浸透しなかったため、一般家庭に電気掃除機が普及するのは戦後しばらく先の話になります。
電気冷蔵庫 SS-1200型<機械遺産> 昭和5年(1930)
芝浦製作所(現:東芝)製、国産第一号の電気冷蔵庫。容量は125リットルです。
何だか東芝製だらけですが、当時松下とかは電化製品作っていなかったのでしょうか。
こちらは当時の金額で720円(現在の金額で約127~146万円)。当時は720円もあれば庭付きの小さな一戸建が建てられるほどだったそう。
上部に付いている円筒状の謎装置はシリンダー圧縮&凝縮&制御装置だそうです。
右横には昭和30年(1955)に発売された国産1号の自動式電気釜がちらりと写っていますが、もちろんこれも東京芝浦電気(現:東芝)製。
今の東芝は隣大国製の安い家電に圧されてやや斜陽がかっていますが、まだまだ頑張れ、国内企業(ノ`Д´)ノ
写真多いので、その2に続く(;´Д`)
日々すり減っていく脳細胞の代わりに記録しておく備忘録的なお出掛けetc日記
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よく目的の展覧会とは別の展覧会へと急遽変更されてますが、
コンテンジェンシープランを御用意されてるのかしら(@_@)
別展覧会のも予習されてるとかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 凌雲閣は興味
ありますが、遺構煉瓦を手に入れたらどーされたのかな^_^;
by middrinn (2018-11-11 16:09)
私の場合は行き当たりバッタリプランかもしれません(*´ω`*)
とは言え、変更先の情報も取り敢えず下調べ位はしておきます。
旅行でも然り。
でもごくたまーーに全く予定に無いところへ変更してみることもありますが、それもそれで結構面白いものです。
凌雲閣の遺構煉瓦、手に入れていたらもちろんケースに入れて自室に陳列ですねヽ(・∀・)ノ
by そらそら (2018-11-11 18:59)